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長者塚古墳

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長者塚古墳

墳丘
別名 関長者塚古墳
所在地 群馬県桐生市新里町関194(字上長者)
位置 北緯36度27分18.45秒 東経139度13分46.32秒 / 北緯36.4551250度 東経139.2295333度 / 36.4551250; 139.2295333座標: 北緯36度27分18.45秒 東経139度13分46.32秒 / 北緯36.4551250度 東経139.2295333度 / 36.4551250; 139.2295333
形状 五角形墳
規模 直径20m
高さ2m
埋葬施設 両袖式横穴式石室(截石切組積み)
築造時期 7世紀後半
史跡 桐生市指定史跡「長者塚古墳」
地図
長者塚古墳の位置(群馬県内)
長者塚古墳
長者塚古墳
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長者塚古墳(ちょうじゃづかこふん、関長者塚古墳)は、群馬県桐生市新里町関にある古墳。形状は五角形墳。桐生市指定史跡に指定されている[1]

概要

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群馬県東部、赤城山南東麓の舌状台地の傾斜地上(標高約350メートル)に山寄せで築造された古墳で、赤城山南麓の古墳としては最高所に位置する[1]。現在までに盗掘に遭っており石室は大きく破壊されているほか、近年に発掘調査が実施されている。

墳形は五角形で(近年の調査以前は円墳とされた)、直径約20メートル・高さ約2メートルを測る[2]。墳丘外表で埴輪は認められない[3]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、截石切組積みによって構築された整美な石室である。盗掘に遭っているため、石室内の副葬品は明らかでない[3]。築造時期は古墳時代終末期7世紀後半頃と推定される[2]

古墳域は1982年昭和57年)に旧新里村指定史跡(現在は桐生市指定史跡)に指定されている[2]。なお、南3.7キロメートルには截石切組積み石室の中塚古墳、八角墳(火葬墓)の武井廃寺塔跡が所在する。

遺跡歴

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埋葬施設

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石室
手前に羨道、奥に玄室。

埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されている。石室の規模は次の通り[2]

  • 玄室:長さ3.11-3.15メートル、幅1.96メートル(中央)
  • 羨道:長さ3.16-3.30メートル、幅1.05メートル

石室の石材は安山岩で、截石切組積みによって構築される。羨門は「八」の字のように下が開く特徴を有する[2]

文化財

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桐生市指定文化財

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  • 史跡
    • 長者塚古墳 - 1982年(昭和57年)10月1日指定[2]

脚注

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  1. ^ a b c 長者塚古墳(平凡社) 1987.
  2. ^ a b c d e f g 長者塚古墳(桐生市ホームページ)。
  3. ^ a b c 長者塚古墳詳細情報 (PDF) (桐生市ホームページ)。

参考文献

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(記事執筆に使用した文献)

  • 「長者塚古墳」『日本歴史地名大系 10 群馬県の地名』平凡社、1987年。ISBN 4582490107 

関連文献

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(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 「関長者塚古墳II」『桐生市内遺跡発掘調査報告 平成21・22年度調査(桐生市文化財調査報告書 第30集)』桐生市教育委員会、2012年。 
    • 加部二生「関長者塚古墳の墳丘形態について」。
  • 「関長者塚古墳III・関長者塚古墳IV」『桐生市内遺跡発掘調査報告 平成23・24年度調査(桐生市文化財調査報告書 第33集)』桐生市教育委員会、2014年。 

外部リンク

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