長谷川五作
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長谷川 五作(はせがわ ごさく、1880年(明治13年)2月15日 - 1963年(昭和38年)7月18日)は、旧制中学校の教員。長野県埴科郡松代町(現在の長野市松代町)においてビン詰めによるエノキタケの人工栽培法を考案した。
経歴
[編集]- 1880年(明治13年) 埴科郡西船山村(現千曲市)の田中家に生まれ、松代町の旧松代藩士長谷川家の養嗣子となる
- 1903年(明治36年) 長野県師範学校第二種講習を修了、県下の小学校訓導となる。
- 1919年(大正8年) 文部省の中等教員検定試験に合格
- 1920年(大正9年) 愛知県女子師範学校に赴任
- 1921年(大正10年) 旧制東京府立第五中学(現在の東京都立小石川中等教育学校)に赴任
- 1923年(大正12年) 旧制屋代中学(現在の長野県屋代高等学校)の生物教諭に迎えられる
- 1931年(昭和6年) ビン詰によるエノキタケの栽培法を考案
- 1953年(昭和28年) 教育功労者として文部大臣の表彰を受ける
- 1960年(昭和35年) 教員を退職
エピソード
[編集]- ムギとエンドウマメの交配実験、カイコによる実験でメンデルの法則を実証し、遺伝の法則を教材として掲載した[高等小学理科筆記帳」(1913年(大正2年)3月25日発行)に貢献した。また実験結果から養蚕家は雑種第一代(F1)の飼育が有利であることを説いた。
- 日本最古の遺伝教材を扱った、信濃教育会の「理科筆記帳」の編集に参画。
- 長野市松代町の長国寺に銅像がある。
参考文献
[編集]- 『長谷川五作先生著作選集』
- 「郷土歴史人物事典 長野」第一法規 1978年