長谷川武彦
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長谷川 武彦(はせがわ たけひこ、1931年 - 2024年5月7日)は、日本の技術者、実業家。愛知県名古屋市出身。
略歴
[編集]1958年、ヤマハ技術研究所を経てヤマハ発動機株式会社に入社。同社では、オートバイのエンジン開発を担当するとともに、世界グランプリレース監督を務めた。また、名車と謳われた「トヨタ2000GT」の共同開発、ソフトバイク「パッソル」の開発などに関わり、同社社長(1994年~2001年)、会長(2001年~2003年)等を歴任した。
経歴
[編集]- 1954年 - 名古屋大学工学部卒業
- 1954年 - ヤマハ技術研究所入社
- 1958年 - ヤマハ発動機入社
- 1979年 - ヤマハ発動機・常務取締役
- 1983年 - 三信工業(現・ヤマハマリン)社長
- 1987年 - ヤマハ発動機・専務取締役
- 1994年 - ヤマハ発動機・代表取締役社長
- 2001年 - ヤマハ発動機・代表取締役会長
- 2003年 - ヤマハ発動機・顧問
著書
[編集]- 『感動創造 技術者として、経営者として』(2003年、PHP研究所)
脚注
[編集]- ^ “平成16年春の叙勲 旭日中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 4 (2004年4月29日). 2004年7月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月24日閲覧。
- ^ “長谷川武彦氏が死去 元ヤマハ発動機社長”. 日本経済新聞 (2024年5月9日). 2024年5月9日閲覧。