長野忠次
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長野 忠次(ながの ちゅうじ、1873年(明治6年)12月30日[1][2] - 1954年(昭和29年)12月12日[3])は、明治時代後期から昭和時代前期の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。
経歴
[編集]長野濬平の四男として熊本県[注 1]に生まれ、1897年(明治30年)分家する[4]。1894年(明治27年)第五高等学校を卒業し、蚕糸業に従事する[4]。合名会社長野製種組主宰、熊本商業会議所特別議員、蚕糸業同業組合中央会、熊本県農会各議員、同県実業団体連合会会長、熊本製糸、九州新聞社各取締役[3]、熊本市信用組合常務理事、熊本県海外協会理事、甲佐玉東重役などを歴任した[4]。
1932年(昭和7年)熊本県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[5]から1939年(昭和14年)9月28日まで在任した[3]。在任中は研究会に所属した[3]。
親族
[編集]- 父:長野濬平(実業家、1823-1897)[4] 熊本県蚕糸業の開祖とされる[6]。横井小楠に学び、養蚕業振興のため信濃(長野県)などで育蚕、製糸技術を習ったのち帰郷、1872年に熊本九品寺に養蚕試験場、甲佐に緑川製糸場を設立、1893年熊本製糸創立。号に立大、桑蔭[7]。2015年にはテレビ熊本が制作した郷土の偉人シリーズ「長野濬平~近代養蚕業の開祖」でドキュメンタリードラマ化され、渡辺いっけいが濬平を演じた[8][9]。
- 甥:長野友博(実業家)[4]
- 姪:照代(兄・関吉の二女)子爵・六角英通の妻
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 真栄里 1923, 22頁.
- ^ 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』熊本14頁。
- ^ a b c d 衆議院、参議院 編 1960, 206頁.
- ^ a b c d e 人事興信所 1928, ナ150頁.
- ^ 『官報』第1727号、昭和7年9月30日。
- ^ 近代山鹿の偉人たち014 熊本県蚕糸業の開祖 長野濬平山鹿市教育委員会、平成22年3月
- ^ 長野濬平(読み)ながの しゅんぺいコトバンク
- ^ “テレビ熊本、熊本の近代養蚕業の開祖・長野濬平ドラマ化”. 産経ニュース. (2015年9月26日) 2024年9月29日閲覧。
- ^ “長野濬平 - ドラマ詳細データ”. テレビドラマデータベース. 2024年10月14日閲覧。
参考文献
[編集]- 真栄里正助 編『人物熊本』新九州社、1923年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。
- 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。