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間垣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
間垣親方から転送)

間垣(まがき)は、日本相撲協会年寄名跡のひとつ。初代・間垣が四股名として名乗っていたもので、その由来は定かではない。享保時代(1716年-1737年)に創設され、約300年の歴史をもつ由緒ある名跡である。戦後、不祥事や病気などで退職を余儀なくされた襲名者が多いことから「呪われた名跡」とも呼ばれている[1]

名跡の変遷

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1958年9月場所限りで引退した元小結・清水川は、16代間垣を襲名すると追手風部屋の部屋付き親方となったが、翌年には分家独立して間垣部屋を創設した。しかし関取に恵まれず1975年に部屋は閉鎖となり、1979年、16代間垣は肝硬変のため53歳で死去した。1981年9月場所限りで引退した元関脇・荒勢は、17代間垣を襲名すると花籠部屋の部屋付き親方となった。 12代花籠(横綱・輪島)は17代間垣と同様に日本大学出身であったが、17代間垣は、1983年、既に引退していた56代横綱・二代目若乃花に名跡を譲り、芸能界へ転進し相撲界を去った。

二子山部屋所属の56代横綱・二代目若乃花は1980年に師匠である10代二子山(45代横綱・初代若乃花)の長女と結婚したが、約1年で離婚したうえ、以前より交際していた女性と再婚。これらの行動が影響する余波で年寄名跡を取得できず、1983年1月場所の引退時点では横綱特権の現役名年寄・若乃花となっていた。1983年5月に同門の荒勢の間垣株を取得すると、18代間垣となり二子山部屋の部屋付き親方となったが、同年12月に間垣部屋を創設した。18代間垣は複数名の弟子を幕内に育てた一方で、自身や弟子についてのトラブルが頻発し、再婚した夫人に2005年に先立たれたショックで酒量が増加した事などが起因し、2007年に自身も脳出血を発症し、後述の通りに部屋の運営に支障を来すこととなった。

2013年12月、相撲協会が公益法人へと移行するため、親方衆に名跡証書の提出を求めたが18代間垣は提出することができず、名跡証書を保有する現役関取の名前も明かされなかったことから、一部には名跡証書が行方不明状態になっていることが報じられた[2][3]。18代間垣は既に脳出血の後遺症により後進の指導を十分に行えず、同年3月に自身の部屋を閉鎖して伊勢ヶ濱部屋の部屋付きとなっていた[4]が、18代間垣は結果的に期限までに名跡証書を提出できず、相撲協会を退職した(18代は退職後の2022年に69歳で死去している)[5]

2014年1月、時天空が日本に帰化すると、同年5月に間垣名跡の取得を正式に届け出ていたことが同年6月に報道された[6]。相撲協会の規定では「年寄名跡は、本協会の年寄及力士の有資格者以外の第三者に譲渡し、又は担保に供することが出来ない」とあり、また1976年より「年寄名跡の襲名は、日本国籍を有する者に限ることとする」とされていた。18代間垣が名跡証書の提出を求められた2013年12月の時点では、時天空はモンゴル国籍であったために年寄名跡の襲名資格は無く、所有者の名前が明かされることも無かったとみられる。時天空は2016年8月に現役を引退して19代間垣を襲名したが、引退の原因にもなった悪性リンパ腫の病状が悪化し、在職中の2017年に37歳の若さで死去した[7][8]

19代間垣の没後しばらくは故人の遺族が名跡を保有していたが、2018年4月に佐ノ山を借株で襲名していた土佐豊が名跡を取得して20代間垣を襲名[9]。しかし2021年2月、時津風(前頭・時津海)が不祥事のため相撲協会を退職すると、20代間垣は名跡変更により17代時津風を襲名して時津風部屋を継承した[10]。その後同年5月に横綱・白鵬宮城野部屋)が間垣の名跡を取得[11]、同年9月に現役を引退して21代間垣を襲名し、宮城野部屋付きの親方となった[12]。21代間垣は2022年7月に宮城野部屋を継承するため12代宮城野(前頭・竹葉山)と名跡を交換して13代宮城野を襲名、代わって12代宮城野が22代間垣を襲名した[13]。22代間垣は停年後も再雇用されて相撲協会に留まっていたが、2023年6月1日付で相撲協会を退職。代わって元前頭で直前の同年5月場所では序二段に陥落していた石浦が現役を引退し、23代間垣を襲名した[14]。平成生まれでは初の名跡取得となる。

間垣の代々

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  • 代目の太字は、部屋持ち親方。
代目 引退時しこ名 最高位 現役時の所属部屋 襲名期間 備考
初代 間垣伴七 --- ---
2代 ? --- ---
3代 冨士根鉄五郎 --- ---
4代 香取山喜傳治 --- 常盤山部屋? 1796年?-1805年?
5代 鈴鹿山清蔵 --- 間垣部屋? 1806年?-1810年?
6代 鯱亀之助 十10 間垣?-粂川部屋? 1819年?-1844年?
7代 三河屋繁治郎 --- --- 1844年?-1849年?
8代 龍虎平吉 下8 雷部屋 1856年?-1881年?
9代 出釈迦山峯吉 前8 音羽山-間垣部屋 1881年?-1892年10月(死跡) 二枚鑑札
10代 出釈迦山光右エ門 下10 間垣部屋 1894年1月-1897年1月(返上) 二枚鑑札
11代 九紋龍竹松 十1 音羽山-高砂-武隈部屋 1901年?-1913年10月(死去)
12代 尼ヶ嵜清吉 小結 高砂部屋 1915年5月-1947年3月(死去)
13代 大邱山高祥 関脇 出羽海部屋 1947年11月-1950年1月(廃業)
14代 明瀬川傳四郎 前13 伊勢ヶ濱部屋 1950年1月-1951年5月(廃業) 借株
15代 信濃川藤四郎 十11格 鏡山-伊勢ヶ濱部屋 1951年5月-1958年9月(廃業) 借株
16代 清水川明於 小結 追手風部屋 1958年9月-1979年2月(死去)
17代 荒勢永英 関脇 花籠部屋 1981年9月-1983年2月(廃業)
18代 若乃花幹士 (2代) 横綱 二子山部屋 1983年5月-2013年12月(退職)
19代 時天空慶晃 小結 時津風部屋 2016年8月-2017年1月(死去)
20代 土佐豊祐哉 前1 時津風部屋 2018年4月-2021年2月 17代時津風に名跡変更
21代 白鵬翔 横綱 宮城野部屋 2021年9月-2022年7月 13代宮城野に名跡変更
22代 竹葉山真邦 前13 宮城野部屋 2022年7月-2022年8月(停年(定年)退職)
2022年8月-2023年6月(退職) 再雇用
23代 石浦鹿介 前5 宮城野部屋 2023年6月-

脚注

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  1. ^ 引退後を見据え白鵬が手を出す「呪われた間垣株」 相場は2億円
  2. ^ 間垣親方が退職、年寄名跡やりとり調整付かず YOMIURI ONLINE 2013年12月20日
  3. ^ 当時の時点で詳細は不明であったが、18代が現役の関取に証書を渡しており、その所有者と協議が合意しなかったという。
  4. ^ 横審委員に2氏委嘱、閉鎖の間垣部屋力士は伊勢ケ浜へ」『スポーツニッポン』2013年3月18日。2021年9月27日閲覧。
  5. ^ 年寄名跡証書3親方が提出できず 今後厳罰も」『スポーツニッポン』2013年12月21日。2021年9月27日閲覧。
  6. ^ 時天空が「間垣」取得」『日刊スポーツ』2014年6月18日。2021年9月27日閲覧。
  7. ^ 闘病の時天空が引退会見「受け入れるしかない」」『日刊スポーツ』2016年8月29日。2021年9月27日閲覧。
  8. ^ 元小結時天空の間垣親方が悪性リンパ腫で死去37歳」『日刊スポーツ』2017年1月31日。2021年9月27日閲覧。
  9. ^ 協会からのお知らせ 日本相撲協会公式サイト
  10. ^ 間垣親方が時津風部屋を継承」『佐賀新聞』2021年2月22日。2021年9月27日閲覧。
  11. ^ 横綱白鵬 引退の意向固める 右ひざのけが 本場所務めきれず」『NHKNEWSWEB』2021年9月27日。2021年9月27日閲覧。
  12. ^ 白鵬の引退と年寄「間垣」襲名を承認 日本相撲協会」『毎日新聞』2021年9月30日。2021年9月30日閲覧。
  13. ^ 元横綱・白鵬が宮城野部屋を継承…日本相撲協会理事会」『スポーツ報知』2022年7月28日。2022年7月28日閲覧。
  14. ^ 石浦が現役引退、年寄間垣を襲名 昨年春場所を最後に7場所連続で全休 最高位は前頭5枚目 - 日刊スポーツ 2023年6月1日

関連項目

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