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間部詮実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

間部 詮実(まなべ あきざね、文政10年4月28日1827年5月23日) - 文久3年11月27日1864年1月6日))は、越前鯖江藩の第8代藩主。間部家9代。第8代藩主・間部詮勝の次男。母は松井松平康任の娘。正室は徽美(伊東祐相の娘)。官位は従五位下、安房守。

生涯

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江戸に生まれる。幼名は岩次郎、または巌次郎。長兄が早世したため世子に選ばれた。天保11年(1840年)、将軍徳川家慶に初めて拝謁する。天保12年(1841年)12月、部屋住みの身分のまま従五位下安房守に叙任する。文久2年(1862年)11月20日に父詮勝が安政の大獄などを行った責任を追及され、1万石削減の上で強制隠居処分となったため家督を継いだものの、詮実も連座して自宅謹慎させられた。文久3年(1863年)1月12日、謹慎を解かれ、同年3月には御殿山下の警護を命じられている。しかし同年11月27日、家督を継いでからわずか1年ほどで死去した。享年37。詮実には実子として長男の詮成と2人の女子がいたが、いずれも早世したため、家督は弟で養嗣子の詮道が継いだ。法号は修和院。墓所は東京都台東区花川戸の九品寺。

詮実は幼少の頃から学問や武芸を好み、詩歌や書画を嗜む文化人で、石巌・労謙・子篤・松斎などの雅号を名乗った。また、『待月亭漫筆』『待月亭間記』『待月亭雑志』など81冊の随筆集を著した。

系譜

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父母

正室

養子

参考文献

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  • 間部家文書刊行会編『間部家文書』第五巻 鯖江市、1988年。