関京子
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せき きょうこ 関 京子 | |
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本名 | 同じ |
生年月日 | 1924年8月17日 |
没年月日 | 2007年2月1日(82歳没) |
出生地 | 日本 東京府東京市(現在の東京都) |
死没地 | 日本 東京都大田区 |
職業 | 女優 |
ジャンル | 映画、テレビドラマ、舞台 |
活動期間 | 1951年 - 2007年 |
活動内容 |
1951年 新協劇団に入団 1959年 東京芸術座結成に参加 |
主な作品 | |
『生きる』 『戦争と人間』 | |
備考 | |
東京芸術座代表( - 2007年) |
関 京子(せき きょうこ、1924年8月17日 - 2007年2月1日)は東京府(現在の東京都)出身の女優[1]。本名同じ。舞台を中心に活動し、東京芸術座代表を務めていた。
来歴・人物
[編集]東洋音楽学校(現在の東京音楽大学)中退。1951年に新協劇団に入団し、『太陽のない街』で初舞台を踏む。1959年には劇団中芸と合同し、劇団東京芸術座を結成。関もこれに参加する。以後、同劇団の看板女優となった。
この間、映画やテレビドラマにも僅かに出演しており、1952年の黒澤明監督映画『生きる』渡邊光男(演:金子信雄)の妻・一枝などがある。
劇団代表在籍中の2007年2月1日、心不全のため、東京都大田区の病院で死去した。満82歳没[2]。
出演作品
[編集]映画
[編集]- 生きる(1952年、東宝) - 渡邊一枝
- 億万長者(1954年、青年俳優クラブ・大映) - 鏡らん
- 超高層のあけぼの(1969年、東映) - 下宿のおばさん
- 戦争と人間 第一部 運命の序曲(1970年、日活) - 田伏ふさ
テレビドラマ
[編集]- 妻も生きている(NHK、1956年3月10日放送)
- ここに人あり(NHK)
- 第3回「温かいおくりもの」(1957年4月29日放送)
- 不屈の青春(NETテレビ、1959年3月5日 - 3月26日)
- 夜の町(毎日放送、1959年4月14日放送)
- 東映教育映画(NETテレビ)
- 悪い芽(1959年12月3日放送)
- 東芝土曜劇場 第50回
- 再起(フジテレビ、1960年2月27日放送)
- NECサンデー劇場(NETテレビ)
- 多ぜいの妻(1960年10月23日放送)
- 三菱劇場(日本テレビ)
- 半七捕物帳 第17話(1962年2月24日放送)
- 判決(NETテレビ)
- 第7話「報復の原理」(1962年11月17日放送)
- 第121話「血に叛くもの」(1965年2月3日放送)
- 第148回「北からの人」(1965年8月11日放送)
- 名作推理劇場(NETテレビ)
- 妄執の影(1962年12月30日放送)
- ダイヤル110番(NETテレビ)
- 第289話「大阪連続放火事件」(1963年3月31日放送)
- 事件記者(NHK)
- 第148話「非行」(1963年9月10日放送)
- 第243話「現行犯」(1965年7月20日放送)
- こども劇場 第61回(NHK)
- 梨育ち(1964年7月12日放送)
- 若者たち(フジテレビ)
- 第8話「或る休日」(1966年4月1日放送)
- 三匹の侍(フジテレビ)
- 第4シリーズ 第18話「処刑」(1967年2月2日放送)
- 第5シリーズ 第13話「不毛の掟」(1967年12月28日放送)
- 七人の刑事(TBS)
- 第206話「遠いうぶ声」(1968年7月29日放送)
- ライオン奥様劇場 徳川の夫人たち(フジテレビ、1974年)
- 風と雲と虹と(NHK)
- 第47回「国府占領」(1976年11月21日放送)
- 第49回「大進発」(1976年12月5日放送)
- 第52回「久遠の虹」(1976年12月26日放送)
- 達磨大助事件帳(テレビ朝日)
- 第28話「大川端に散った恋」(1978年5月4日放送)
- 青春INGS ゆう子とヘレン(関西テレビ)
- 第7話「お父さんの秘密」(1982年11月26日放送)
舞台
[編集]- 『太陽のない街』
- 『8月の鯨』ほか
脚注
[編集]- ^ 『関 京子』 - コトバンク
- ^ 関京子さん死去 女優、劇団東京芸術座代表