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関谷源兵衛 (八王子町長)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

関谷 源兵衛(せきや げんべえ、1835年 - 1908年)は、明治時代の日本の地方政治家実業家東京都八王子市の前身に当たる東京府八王子町長を務めた。八王子市長の関谷源兵衛は孫。

来歴

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1893年に刊行された『三多摩人物評』によると、八王子で質屋を営み、多くの土地と建物を所有する豪商であった[1]。同書によると父の松兵衛の代から富裕な家で、明治初期には一揆に襲われる被害にも遭ったという[1]。八王子町議会議員となり、南多摩郡所属税調査委員も務めた[1]

1894年に八王子商工会議所が設立された際には、発起人(第三十六銀行頭取の吉田忠右衛門以下合計8人)の一人となる[2]

1901年3月7日に第4代八王子町長に就任[3]。約1年在任ののち、1902年3月5日に退任した[3]。町長在職中に、中央本線八王子駅から上野原駅まで延伸され、高尾駅(当時は浅川駅)が開業している[3]

1905年に孫の源兵衛が誕生[要出典]

1908年に死去した[要出典]

脚注

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  1. ^ a b c 深井斧三郎『三多摩人物評 第1編』佐伯卓造、1893年、pp.105 - 107(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション、フレーム59・60を参照)
  2. ^ 近代社会のはじまり - 八王子商工会議所(「八王子商工会議所の紹介・100年のあゆみ」)2021年12月7日閲覧。
  3. ^ a b c 八王子のあゆみ (PDF) - 八王子市(『統計八王子(平成27年〔2015年〕版)』参考資料、p.170を参照)2021年12月7日閲覧。
先代
原豊穣
八王子町長
4代:1901年 - 1902年
次代
平林定兵衛