閻月媚
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閻 月媚(えん げつび、1098年 - ?)は、北宋の徽宗の妃嬪。名は閻月娟(えん げつえん)とも。
生涯
[編集]初め三水夫人の位を授けられ、婕妤にいたった。宣和4年(1122年)、童貫が遼へ遠征に向かった際に、徽宗は蔡攸を童貫の副使に任じた。蔡攸は得意のあまり、閻月媚と他の一人の妃嬪を勝利の褒賞として求めた。徽宗は蔡攸の父の蔡京に告げ、蔡京は「小子無状」と言って謝罪した[1]。その後、蔡攸は惨敗した。
靖康の変後、閻月媚は金に連行され、金の天会5年(1127年)8月、洗衣院に下された。
伝記資料
[編集]- 『靖康稗史箋證』
- 『三朝北盟会編』
- 『宋史記事本末』
脚注
[編集]- ^ 権力争いのため、蔡京・蔡攸の父子は仇敵のようになった。