閻皇貴妃
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皇貴妃閻氏(こうきひ えんし、1510年代? - 1540年2月9日(嘉靖19年1月2日))は、明の嘉靖帝の妃嬪。
経歴
[編集]山西の庶民であった閻紀の娘として生まれる。容貌が美しく、嘉靖10年(1531年)に方氏(後に皇后となった)ら9人と共に、選抜されて後宮に入り、麗嬪となった。
嘉靖12年(1533年)、皇長子朱載基が生まれたが、その2か月後に夭折した(哀沖太子と諡された)。嘉靖帝は閻氏を憐れんで麗妃に封じた。嘉靖15年(1536年)、貴妃に進んだ。父の閻紀は正三品錦衣衛指揮使に任じられた。
嘉靖19年1月2日(1540年2月9日)、薨去した。享年は20代だったとみられている。嘉靖帝はその死を悲しみ、閻氏は皇貴妃に追封され、栄安恵順端僖と諡され、天寿山に葬られた。
伝記資料
[編集]- 『明世宗実録』
- 『明故戚畹昭勇将軍錦衣指揮使閻紀墓志銘』