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阿久沢家住宅

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阿久沢家住宅

阿久沢家住宅
所在地 群馬県前橋市柏倉町604-1
位置 北緯36度27分4.6秒 東経139度10分6.3秒 / 北緯36.451278度 東経139.168417度 / 36.451278; 139.168417座標: 北緯36度27分4.6秒 東経139度10分6.3秒 / 北緯36.451278度 東経139.168417度 / 36.451278; 139.168417
形式・構造 茅葺寄棟造り
建築年 17世紀
文化財 国の重要文化財
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阿久沢家住宅(あくざわけじゅうたく)は、群馬県前橋市柏倉町にある古民家1970年昭和45年)6月17日、国の重要文化財に指定[1]

概要

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阿久沢家は安部宗任の後裔と伝え、当家の保存する文書には、永禄9年(1566年)11月15日に北条高広三夜沢赤城神社神主奈良原紀伊守に宛てて「阿久澤源三郎」らに永代寄進させる内容の書状が存在する[2]。当家周辺に多い阿久沢家の本家筋にあたり、江戸時代初期頃から名主を務めた[1]

建築年代を示す史料は見つかっていないが、赤城山南麓地域にみられる赤城型民家よりも古い形式で、建築手法から17世紀末の建造と推定できる[1][2]

構造

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阿久沢家住宅内部

形式・規模

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  • 形式 平屋建、寄棟造茅葺
  • 桁行 15.3メートル
  • 梁間 8.2メートル
  • 正面(南面)土庇付

[1]

間取り

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東半分を土間、西半分を床上とする。床上の東側を「ザシキ」、西側南を「コザ」、西側北を「ヘヤ」(ナンド、オク、オサンベヤ)とする「三間取広間型」を呈する。東・北・西面には一切開口部がなく、南面も戸袋を用いないため、開口部は狭く閉鎖的で、内部は非常に暗かった[2]

土間部分が床上部分に比べてかなり広い点、入口近くに「袖すり柱」を有する点、開口部が少ない点、柱が全て手斧仕上げである点等に古い特徴が見られる[3]

棟は、屋根上部を土葺としてノシバ・イチハツ(アヤメ類)・イワヒバ等の植物を植える「クレグシ」となっている。

脚注

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  1. ^ a b c d 村田 2002, pp. 106–107.
  2. ^ a b c 群馬県文化財研究会 2009, pp. 148–152.
  3. ^ 宮城村誌編集委員会 1973, p. 108.

参考文献

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  • 群馬県文化財研究会 編『上州の重要民家をたずねる(東毛編)』あさを社、2009年9月25日、148-152頁。ISBN 978-4-87024-503-7 
  • 宮城村誌編集委員会『宮城村誌』1973年9月1日(原著1973年9月1日)。doi:10.24484/sitereports.94717NCID BN10179277https://sitereports.nabunken.go.jp/94717 
  • 村田敬一『群馬の古建築―寺社建築・民家・近代化遺産・その他―』みやま文庫、2002年7月10日。 

関連項目

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外部リンク

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