阿倍他田万呂
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阿倍他田万呂(あべ の おさだ の まろ)は、奈良時代、8世紀の日本の官人である。生没年不明。もと、氏は他田(おさだ)、姓(カバネ)は臣であったが、717年に氏が阿倍他田、姓が朝臣に変わった。名は麻呂(まろ)とも書く。正六位下、散位寮助。
解説
[編集]奈良時代の霊亀3年(717年。11月17日に改元して養老元年)に、阿倍宿奈麻呂が、「正七位上池田臣万呂は本系同族で実は異姓ではない」ので、「阿倍池田朝臣の姓を賜ることを請う」と願い出た[1]。これが許されて、池田万呂は臣から朝臣へと姓(カバネ)を上げることができた。『続日本紀』では諸本とも「池田」だが、阿倍の関連氏族には「長田(おさだ)」「阿倍長田(あべのおさだ)」が見えるため、「他田(おさだ)」の誤記とされる[2]。
2007年に平城宮東方官衙地区跡で行われた調査で、「散位寮助正六位下阿倍□田朝臣麻呂」と書かれた木簡が出土した[3][4]。「□」の部分は左の部分が欠けているが、右側の「也」が残っており、「他」ではないかと推定された。『続日本紀』の「阿倍他田万呂」と推定される[3][4]。散位寮は、式部省の下で、任官されていない有位者を管理する役所である。助(すけ)はその次官。
脚注
[編集]- ^ 『続日本紀』養老元年8月庚午条。新日本古典文学大系『続日本紀』二、30 - 31頁。
- ^ 新日本古典文学大系『続日本紀』二、31頁注12。
- ^ a b 国武貞克「東方官衙地区の調査-第466次」、158頁。PDFファイルの173頁。
- ^ a b 古尾谷知浩「近年出土の古代木簡」、5頁