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阿呆鳥のオールナイトニッポン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オールナイトニッポン > 阿呆鳥のオールナイトニッポン
阿呆鳥のオールナイトニッポン
放送方式 生放送
放送期間 1981年10月6日 - 1983年6月29日
放送時間 火曜日深夜 27:00〜29:00(水曜日未明 3:00〜5:00)
→ 水曜日深夜 27:00〜29:00(木曜日未明 3:00〜5:00)
放送局 ニッポン放送
制作 ニッポン放送
ネットワーク NRN系列
#ネット局を参照)
パーソナリティ 阿呆鳥
(菊池章夫、
北郷勇一
金子透)
プロデューサー 石原信和[1]
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阿呆鳥のオールナイトニッポン』(あほうどりのオールナイトニッポン)は、ニッポン放送深夜放送オールナイトニッポン」の第2部で放送されていた番組。放送期間は1981年昭和56年)10月6日から1983年(昭和58年)6月29日まで。パーソナリティは三人組音楽グループの阿呆鳥

概要

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放送されていた枠は、1981年10月6日から1982年(昭和57年)3月30日までは火曜2部(火曜日深夜27:00〜29:00 = 水曜日未明3:00〜5:00)、1982年4月7日から1983年6月29日までは水曜2部(水曜日深夜27:00〜29:00 = 木曜日未明3:00〜5:00)。

本番組がスタートした当時阿呆鳥は、1981年8月21日にシングル『物語』でNEWSレコードよりメジャーデビューしてわずか2か月足らずのことだった。メンバー三人のうち、番組はくまさんこと菊池章夫を中心に進行[1]。1981年11月頃の時点で寄せられていたはがきの数は週に800~1000枚ほどだった[1][2]。番組プロデューサーは石原信和[1][2]

時折、地元の福島弁を交えたトークを展開[2]。曲は、旅愁を誘う曲を放送したことが多かった[3]。番組中で阿呆鳥のメジャーデビュー曲『物語』を全編福島弁で歌ったところ大ウケだったということもあった[2]

シュガー(1983年1月頃)などがゲスト出演していた[4]

主なコーナー

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おらがくにさの名物人物コーナー
  • 地方ならではの面白い人物の情報を募集。元々、リスナーが通う学校の“名物先生”を紹介するコーナーだったが、「面白いのは先生だけじゃないよ」といった内容のはがきがきっかけで企画を変更[5]
大県人会
どうしたら1部に上がれるかコーナー[1]
  • リスナーから全国ネットのオールナイトニッポン1部(1:00〜3:00)にどうすれば昇格出来るかの案を募集。その中には「署名運動をして200人くらいの署名を集める」「ニッポン放送の前でハンストをやってみる」などの案があった[2]

ネット局

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(当時のオールナイトニッポン2部全曜日のネット局)

脚注

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注釈
  1. ^ ネット打ち切り後のこの枠は、『いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜』(TBSラジオ制作、JRN各局ネット)にネット鞍替え。
出典
  1. ^ a b c d e f ラジオマガジン 1982年1月号 p.128 - 129
  2. ^ a b c d e f BOMB学研)1982年1月号 p.128 - 129「SPARKLING CATALOG」
  3. ^ 『オールナイトニッポン大百科』1997年、主婦の友社、p.161。
  4. ^ ラジオマガジン 1983年3月号 p.92
  5. ^ ラジオマガジンモーターマガジン社)1983年4月号 p.88
オールナイトニッポン 火曜2部
前担当
阿呆鳥のオールナイトニッポン
火曜 27:00 - 29:00
次担当
オールナイトニッポン 水曜2部
前担当
阿呆鳥のオールナイトニッポン
水曜 27:00 - 29:00
次担当