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阿礼奴跪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
阿礼奴跪
各種表記
漢字 阿礼奴跪
発音: {{{nihonngo-yomi}}}
日本語読み: あれなこ
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阿礼奴跪(あれなこ、生没年不詳)は、雄略天皇代日本使者[1]。日本からの使者とあるから、日本人とみられる[2]

人物

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日本書紀』雄略二年七月条によると、455年百済蓋鹵王が即位し、天皇は、阿礼奴跪を遣わして、女郎を送るように求めた。百済は、慕尼夫人の娘を飾らせて、適稽女郎と名づけて、天皇に奉った[1]

坂元義種は、「古訓アレトク。『奴跪』を共有する人名には『神功紀』四十九年条の『沙沙奴跪』、『欽明紀』五年条所引『百済本記』の『津守己麻奴跪』などがある。『跪』はいわゆる百済三書に特有の人名表記であろう。『奴』は『ド・ノ』甲類や『ヌ』の当て字であり、『跪』は『ク』。なお、『神功紀』四十七年夏四月条分註に『千熊長彦ハ、分明二其ノ姓ヲ知ラザル人ナリ。一ニ云ク、武蔵国ノ人ナリト。今ハ是レ額田部槻本首等ノ始祖ナリ。百済記ニ職麻那々加比跪(古訓:シマナナカヒク)ト云ヘルハ、蓋シ是レカ』とあり、『比跪』は『彦』に当たるので、『跪』は『子』に当てたものであろうか」とする[3]

脚注

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  1. ^ a b 飯田武郷『日本書紀通釋』畝傍書房〈第四〉、1942年、2321頁。 
  2. ^ 松岡静雄 編『日本古語大辞典』刀江書院、1929年、123頁。 
  3. ^ 坂元義種「日本書紀朝鮮・中国関係記事注釈 : 巻第十四雄略天皇」『京都府立大学学術報告 人文・社会』第51巻、京都府立大学学術報告委員会、1999年12月、3頁、ISSN 1343-3946CRID 1050845762555798656