阿英
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阿英 | |
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誕生 |
1900年2月6日 清安徽省蕪湖県 |
死没 |
1977年6月17日(77歳没) 中国天津市 |
職業 | 小説家、劇作家、文芸評論家 |
文学活動 | 太陽社 |
ウィキポータル 文学 |
阿英(あえい、1900年2月6日 - 1977年6月17日)は、中華民国・中華人民共和国の小説家・劇作家・文芸評論家である。本名は銭徳富、ペンネームに銭杏邨がある。
生涯
[編集]1900年(光緒26年)2月6日、安徽省蕪湖県に生まれた。1919年(民国8年)に五四運動に参加して、政治の道に入った。翌1920年(民国9年)に、小説家としての活動を開始。1926年(民国15年)に中国共産党に入党し、一貫して党の文化工作を担当した。1927年(民国16年)に蕪湖市から逃亡して、武漢へ、そして上海に到着した。蒋光慈・孟超と共にプロレタリア文学の集団である太陽社を結成。1930年(民国19年)に中国左翼作家聯盟の結成メンバーとなった。1933年~1935年(民国22年~24年)にかけて、夏衍らと共に左翼映画運動を上海で展開。日中戦争が始まると演劇活動に精を出した。1941年(民国30年)に江蘇省北部に移住し、国共合作に携わった。その一環として、1944年(民国33年)には郭沫若の『甲申三百年祭』を写本して、毛沢東の解放工作をテーマとした『李闖王(李自成)』という劇を書き上げた[1]。
中華人民共和国成立(1949年)後は、天津市の文化局長・文学連盟主席を歴任し、雑誌『民間文学』の編集長として、中国文学史や日本文学の評論に力を注いだ。後に、中国文学連盟の副会長になるが、文化大革命中に迫害を受け失脚した。
1977年6月17日、天津にて癌により死去。77歳没。
死後の2003年、安徽教育出版社より『阿英全集』が出版された。
主要作品
[編集]文芸評論
[編集]- 『死せる阿Q時代』(1928年)
- 『現代中国文化論』(1933年)
- 『中国新文学運動史資料』(1934年)
- 『晩清小説史』(1937年、中野美代子によって翻訳された)
- 『晩清文学叢抄』(1960年 - 1962年)
- 『紅楼夢戯曲集』(1978年)
中・短編小説
[編集]- 『革命的故事』(1928年)
- 『義冢』(1928年)
- 『一条鞭痕』(1928年)
- 『瑪露莎』(1930年)
散文集
[編集]- 『夜航集』(1933年)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 中国大百科全書(第二版). 北京: 中国大百科全書出版社. (2009). pp. 1-156