阿部将翁
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阿部 将翁(あべ しょうおう、生年不詳 - 宝暦3年1月26日(1753年2月28日))は江戸時代の本草家[1][2]である。
名は照任または輝任、通称は友之進、本草学の実際的知識に秀でており、また、書物をあまり残さなかったため、その前半生には諸説ある。新渡戸仙岳によると、盛岡藩閉伊通豊間根村(現 岩手県山田町)の出身で、豊間根一族の出であるという[3]。
延宝年間(1673年-1681年)に大坂に向かう船が台風で難破し、清国に流れつき清国で医術、本草学を学んで帰国したとされる説(東条琴臺の『先哲叢談続編』)や、密航して清国に渡った説、長崎で清国人、オランダ人に本草学を学んだする説などがある[4]。
享保6年(1721年)、幕府に雇われて採薬使となり、野呂元丈らと各地に採薬旅行を行った。享保12年(1727年)、陸奥国釜石の仙人峠で磁鉄鉱を発見したとされ、釜石鉱山が開かれるもととなった。「採薬使記」「御薬草御用勤書覚」などの記録を残した。幕府の命により薬園を開き、将翁が監督した。対馬藩から献上された朝鮮人参の生根、種子から栽培に成功した。弟子に田村藍水がいる。
脚注
[編集]- ^ 『江戸時代人名控1000』山本博文監修、小学館、2007年、16頁。ISBN 978-4-09-626607-6。
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 45頁。
- ^ 『南部叢書』 第十冊 「南部藩人物史資料」
- ^ 曾孫に本草学者、安部善任がおり友之進の名で、後に将翁を名のり、伝記の混乱のもとになった。 「本草家 阿部輝任とその著作」中田吉信(pdf)
- ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.52
参考文献
[編集]- 『江戸期のナチュラリスト』木村陽次郎(著) 、朝日新聞社 (1988/10) ISBN 4022594632