阿部杖策
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阿部 杖策(あべ じょうさく、生没年不明)は、江戸時代末期(幕末)の幕臣、明治の文部官吏。号は槐陰。のちに改名し阿部弘蔵と名乗る。彰義隊の名付け親でもある。
経歴
[編集]一橋家の家臣で、緒方洪庵や武田成章に蘭学を学び、江戸幕府の蕃書調所・開成所の教授を務め、のちに砲術を修め、幕府陸軍の砲兵差図役並等などを務める。彰義隊の結成に参加し、「大義を彰(あき)らかにする」と名付け、隊内では、記録掛組頭を務めた。
のち敗れて、福澤諭吉の慶應義塾に入塾(『慶應義塾入社帳 第一巻 438頁』)して学問を修め、のち短期間ではあるが教員も務めている。明治新政府になってからは、文部省に出仕し、明治45年(1912年)に「彰義隊碑文」を完成させた。その他、神功皇后のいわゆる「三韓征伐」の伝承を否定する『征韓考』や『日本奴隷史』を記すなど、かなり多くの啓蒙書を発表している。
著作
[編集]- 『日本奴隷史』
- 『修身説話』(1887年)
- 『寛永寺建碑始末』(1912年)
参考文献
[編集]- 阿部弘蔵
- 『慶應義塾入社帳 第1巻』福澤諭吉研究センター(編)、慶應義塾、1986年