コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

陳則民

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
陳則民
『中華民国維新政府概史』(1940年)
プロフィール
出生: 1881年光緒7年)
死去: 1951年
中華人民共和国江蘇省蘇州市
出身地: 清の旗 江蘇省蘇州府呉県
職業: 政治家・弁護士
各種表記
繁体字 陳則民
簡体字 陈则民
拼音 Chén Zémín
ラテン字 Ch'en Tze-min
和名表記: ちん そくみん
発音転記: チェン ゾーミン
テンプレートを表示

陳 則民(ちん そくみん)は中華民国の政治家・弁護士。中華民国維新政府、南京国民政府(汪兆銘政権)の要人である。

事跡

[編集]

日本留学経験を持ち、日本大学法科を卒業している。帰国後は参議院議員に選出され、政治討論会副会長にもなっている。また、北京政府の大総統府顧問もつとめた。1920年民国9年)から3年間、蘇州電気公司董事長となっている。その後は上海弁護士を開業する。律師(弁護士)公会会長、上海各路商会連合会会長、納税華人理事会理事、蘇州電気廠総弁をつとめた。

日中戦争(抗日戦争)勃発後に蘇州が日本軍により陥落すると、陳則民は蘇州地方自治委員会会長となった。1938年(民国27年)3月、中華民国維新政府に参加し、教育部部長に任じられた。5月、江蘇省省長に転じている。江蘇省省長には、1940年(民国29年)3月の汪兆銘政権との合流後も留任し、これを同年6月までつとめた。その後は、監察院監察区監察使となっている。

日本敗北後、陳則民は漢奸として蔣介石国民政府に逮捕され、後に無期懲役の判決を受けた。中華人民共和国成立後も引き続き収監されている。1951年、蘇州の監獄で病没した。享年71。

参考文献

[編集]
  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
  中華民国維新政府
先代
(創設)
教育部長
1938年3月 - 4月
次代
陳群
先代
(創設)
江蘇省長
1938年4月 - 1940年3月
次代
(汪兆銘政権に継続)
  南京国民政府(汪兆銘政権
先代
(維新政府から継続)
江蘇省長
1940年3月 - 6月
次代
高冠吾