出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
陳 桃花(ちん とうか、1108年[1] - ?)は、北宋の徽宗の妃嬪。
北宋で夫人(婕妤・美人・貴人・才人等より低い位)の位を授けられた。
靖康の変後、金に連行され、金の天会5年(1127年)6月に完顔設野馬(完顔宗翰の長男)の婢(側女)となった。同年7月、徽宗の子の趙梴の妻とされた。その後、燕山(北京)に定住した。
いずれも趙梴との子。
- 『靖康稗史箋證』
- 『三朝北盟会編』
- 『宋会要輯稿』
- ^ 『開封府状』によれば「陳夫人十九歳。名桃花。」