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陳済成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
陳済成
プロフィール
出生: 1896年光緒22年)[1]
死去: 不詳
出身地: 清の旗 江蘇省太倉州嘉定県[2]
職業: 政治家・外交官
各種表記
繁体字 陳濟成
簡体字 陈济成
拼音 Chén Jìchéng
ラテン字 Ch'en Chi-ch'eng
和名表記: ちん さいせい
発音転記: チェン ジーチョン
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陳 済成(ちん さいせい)は中華民国の政治家・外交官。南京国民政府(汪兆銘政権)の要人。

事跡

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日中戦争(抗日戦争)勃発後、汪兆銘(汪精衛)に合流する。その下で中国国民党中央候補監察委員兼社会部部長に任じられた。

1940年民国29年)3月に南京国民政府が成立すると、国民党海外党務委員会委員となる。また、僑務委員会委員長にも任命された。1942年(民国31年)3月、辺疆委員会委員長に転じる。翌年1月、国民政府委員に異動した。同年2月、満州国大使に任命され赴任。

日本敗北・汪兆銘政権崩壊後に漢奸の容疑で逮捕され、上海市の提藍橋監獄に収監。陳の最終的な行方・没年については不明。彼の息子は慶應義塾大学へ留学して歴史を研究し、その息子の祖徳中華人民共和国で初めて囲碁のプロ棋士となった。

脚注

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  1. ^ 徐友春主編『民国人物大事典 増訂版』による。『上海監獄志』によれば1893年(光緒19年)生まれ。
  2. ^ 現在は上海市の所管

参考文献

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  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 『上海監獄志』(上海地方志弁公室ホームページ)
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1