陳温
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陳温 | |
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後漢 揚州刺史 | |
出生 |
生年不詳 豫州汝南郡 |
死去 | 初平4年(193年)3月? |
拼音 | Chén Wēn |
字 | 元悌 |
陳 温(ちん おん)は、中国後漢末期の揚州刺史。字は元悌。本貫は豫州汝南郡[1]。
生涯
[編集]初平元年(190年)、曹操と夏侯惇が揚州で募兵を行った時、丹陽太守の周昕と共に、併せて四千の兵を供給した[2]。
その後の在官中に、陳温は袁術によって殺害された[3]。後任の揚州刺史に袁紹は袁遺、袁術は陳瑀を擁立したが、袁遺は袁術によって滅ぼされ、後任には陳瑀が就いた[4]。
脚注
[編集]- ^ 陳寿撰、裴松之注『三国志』魏書 袁術伝注『英雄記』 s:zh:三國志/卷06#袁術
- ^ 『三国志』魏書 武帝紀 s:zh:三國志/卷01
- ^ 『後漢書』孝献帝紀によると初平4年3月。一方、『資治通鑑』漢記52は陳温の死を初平3年とし、『三国志』袁術伝注『英雄記』はその死を病死とする。
- ^ 司馬光『資治通鑑』漢記52 s:zh:資治通鑑/卷060#孝獻皇帝乙初平三年(壬申,公元一九二年)