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雄神橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
雄神橋
地図
基本情報
日本の旗 日本
所在地 富山県砺波市
交差物件 庄川
用途 道路橋
路線名 富山県道11号新湊庄川線
管理者 富山県砺波土木センター
施工者 川田工業
着工 1958年昭和33年)
竣工 1960年(昭和35年)8月
座標 北緯36度35分23.5秒 東経136度59分32.9秒 / 北緯36.589861度 東経136.992472度 / 36.589861; 136.992472 (雄神橋)
構造諸元
形式 ランガー橋4連
材料
全長 224.100 m
6.000 m
最大支間長 60.900 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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富山県道11号標識

雄神橋(おがみはし)は、富山県砺波市庄川に架かる主要地方道新湊庄川線ランガー橋

概要

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  • 左岸 - 富山県砺波市上中野
  • 右岸 - 富山県砺波市庄川町
  • 橋格 - 1等橋 (TL-20)
  • 形式 - 下路ランガー橋4連
  • 延長 - 244.100 m
    • 支間割 - 4×60.900 m
  • 幅員
    • 有効幅員 - 6.000 m
    • 車道 - 6.000 m
    • 歩道 - なし(後年歩道橋添加)
  • 総鋼重 - 467.72 t
  • 床版 - 鉄筋コンクリート
  • 施工 - 川田工業(上部工)・礪波工業(下部工)
  • 架設工法 - ステージング工法・ケーブルエレクション工法

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沿革

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1906年明治39年)7月、長さ127.1、幅2間の木製の釣橋を架設した。当時の雄神村(今の砺波市)の大字名をとって『庄金剛寺橋』と命名された。1910年(明治43年)洪水被害から復旧した際に、『元雄神橋』と改称。1952年昭和27年)に下流の雄神橋が『大門大橋』に改称されたことに伴い、現在の『雄神橋』に改称された[2]

旧橋の木造補剛吊橋が老朽化したため、1958年(昭和33年)から3か年計画での架替事業が富山県により実施され、1960年昭和35年)8月に現在の橋が完成し[3][1]、同年9月15日に開通した[4]

1984年(昭和59年)には現橋の下流側に歩道橋を架橋する事業に着手し、1988年(昭和63年)6月15日(長さ244 m、幅員2.5 m、消雪装置完備)に竣工した[5]

その他

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かつて本橋のはるか下流側(射水市大門地区および高岡市中田地区)に『雄神橋』という同名の橋梁が存在していたが、前者は1952年(昭和27年)以降は『大門大橋』、後者は1900年(明治33年)以降は『中田橋』と名乗っている[6]

脚注

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  1. ^ a b 高岩虎雄 編『道路橋大鑑』(PDF)(再版)土木海通信社、1961年10月25日、234, 235頁https://www.jasbc.or.jp/nenkanpdf/files/01_nenkan_S36(1961).pdf2021年12月12日閲覧 
  2. ^ 『富山大百科事典 上巻』(1994年8月1日、北日本新聞社発行)295頁。
  3. ^ 『庄川町史 続巻』(2002年11月1日、庄川町発行)68頁。
  4. ^ 『目で見る 砺波・小矢部の100年』(1993年12月13日、郷土出版社発行)163頁。
  5. ^ 『庄川町史 続巻』(2002年11月1日、庄川町発行)68頁。
  6. ^ 『富山大百科事典 上巻』(1994年8月1日、北日本新聞社発行)295 - 296頁。

関連項目

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