霧の中のジョニー
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「霧の中のジョニー」 | ||||
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ジョン・レイトン の シングル | ||||
B面 | 幸せの窓辺 | |||
リリース | ||||
規格 | シングル盤 | |||
録音 | 1961年、ロンドン RGMサウンド | |||
ジャンル | ポップス、ロック | |||
レーベル | トップランク | |||
作詞・作曲 | ジェフ・ゴダード | |||
プロデュース | ジョー・ミーク | |||
ジョン・レイトン シングル 年表 | ||||
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「霧の中のジョニー」(Johnny Remember Me)は、イングランドのジョン・レイトンが1961年に発表した楽曲。シングルとしてリリースされ、全英1位を記録する。
作詞・作曲はジェフ・ゴダード、プロデュースはジョー・ミーク。
解説
[編集]俳優として活動していたジョン・レイトンが、1960年から歌手としてジョー・ミークのプロデュースでリリースした「Tell Laura I Love Her」(レイ・ピーターソンのカヴァー)、「The Girl On The Floor Above」に続くサードシングルで、全英チャートにおいて計4週ナンバーワンを記録した[1]。
恋人の亡霊に悩まされる男性の歌だったため、BBCでは「デス・ディスク(death discs)」として放送禁止曲に指定された[2][3]。
カヴァー
[編集]- 克美しげる(1962年)- 漣健児の日本語訳詞によるデビュー曲[4]。その後もレイトンの「霧の中のロンリー・シティー」の日本語カヴァーをリリースしている。
- ブロンスキ・ビート(1985年)- マーク・アーモンドとのコラボレーションで、ドナ・サマーの「アイ・フィール・ラヴ」のカヴァーバージョンを録音。メドレー形式で「霧の中のジョニー」が使用されている(全英最高3位)[5]。
影響を与えた曲
[編集]脚注
[編集]- ^ officialcharts.com - John Leyton / Johnny Remember Me
- ^ “More Dangerous Songs: And the Banned Played On” (英語). BBC. 2024年8月20日閲覧。
- ^ “デス・ディスクの魅力:悪趣味なのか、ユーモアなのかアート表現なのか”. uDiscoverMusic.jp (2019年6月20日). 2024年8月20日閲覧。
- ^ 馬飼野元宏 編『昭和歌謡ポップスアルバムガイド 1959-1979』シンコーミュージック・エンタテイメント、2015年、18頁。ISBN 9784401641420。
- ^ officialcharts.com - Bronski Beat & Marc Almond / I Feel Love (Medley)
先代 ヘレン・シャピロ 「悲しきかた想い」 |
全英シングルチャート 1位 1961年9月6日 - 9月20日(3週) |
次代 シャーリー・バッシー 「リーチ・フォー・ザ・スターズ/すべての山に登れ」 |
先代 シャーリー・バッシー 「リーチ・フォー・ザ・スターズ/すべての山に登れ」 |
全英シングルチャート 1位 1961年10月4日(1週) |
次代 シャドウズ 「コン・チキ」 |