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霧島市立国分南中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
霧島市立国分南中学校
地図北緯31度43分02秒 東経130度46分57秒 / 北緯31.717194度 東経130.782528度 / 31.717194; 130.782528座標: 北緯31度43分02秒 東経130度46分57秒 / 北緯31.717194度 東経130.782528度 / 31.717194; 130.782528
過去の名称 国分市立国分南中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 霧島市
併合学校
  • 国分市立東国分中学校
  • 国分市立敷根中学校
  • 国分市立川原中学校
  • 国分市立平山中学校
  • 霧島市立福山中学校
設立年月日 1968年昭和43年)
共学・別学 男女共学
分校
  • 東国分教場(1968年-1970年)
  • 敷根教場(1968年-1970年)
学期 3学期制
学校コード C146210000442 ウィキデータを編集
所在地 899-4463 ウィキデータを編集
鹿児島県霧島市国分下井817番地
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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霧島市立国分南中学校(きりしましりつ こくぶみなみちゅうがっこう)は、鹿児島県霧島市国分下井にある公立中学校である。

概要

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霧島市国分地域および隼人地域の周辺では、「南中」と呼称されることが多い。校則で男子の頭髪は、校則で丸刈り(坊主)が強制されていたが、現在は校則による強制は廃止されている。

また、毎年2月に開催される鹿児島県下一周市郡対抗駅伝競走大会第4日のスタート地点となる。

沿革

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  • 1947年昭和22年) - 前身となる東国分村立東国分中学校東国分村立東国分中学校平山分校敷根村立敷根中学校が設置される[1]
  • 1954年昭和29年) - 東国分村、敷根村、国分町が合併し、国分町となり、国分町立東国分中学校国分町立東国分中学校平山分校国分町立敷根中学校にそれぞれ改称[1]
  • 1955年昭和30年) - 国分町が市制施行し国分市となったのに伴い、国分市立東国分中学校国分市立東国分中学校平山分校国分市立敷根中学校にそれぞれ改称[1]
  • 1956年(昭和31年) - 国分市立東国分中学校平山分校が国分市立平山中学校として独立。
  • 1968年昭和43年) - 国分市立東国分中学校及び国分市立敷根中学校を統合し、国分市立国分南中学校を設置。各中学校は教場として1970年の完全統合まで存続[1]
  • 1971年昭和46年) - 国分市立平山中学校、国分市立川原中学校を統合。
  • 2005年平成17年) - 国分市等が新設合併し霧島市となったのに伴い、霧島市立国分南中学校に改称。
  • 2006年平成18年) - 国分南中学校の改装完了。改装後は上記の写真。
  • 2017年(平成29年) - 霧島市立福山中学校を統合。

通学区域

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国分南中学校の通学区域は、国分南小学校、福山小学校は全域、国分西小学校と川原小学校、塚脇小学校、平山小学校、天降川小学校はそれぞれの一部となる。なお、国分西小校区・天降川小校区は舞鶴中と国分南中とで校区が分かれる。

出身者

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脚注

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  1. ^ a b c d 学校の沿革 - 霧島市立国分南中学校 2011年7月26日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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