青山八郎右衛門
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青山 八郎右衛門[1](あおやま はちろうえもん、旧姓・茅根[2]、前名・清重郎[2][3][4]、あるいは清十郎[1]、1868年5月16日(明治元年4月24日)[5] - 1951年(昭和26年)4月)は、日本の商人(オットセイ本舗、薬種商)[2][3]、地主[3]。族籍は東京府平民[4][5][6]。
人物
[編集]茨城県平民・茅根忠平の長男[4][5][6]。先代青山さたの養子となる[4]。1896年、家督を相続し、清重郎を改める[2][7]。1893年、慶應義塾別科を卒業[1]。実業に従事し、薬種商を営む[2]。オットセイ本舗主である[7]。住所は東京市麻布区新広尾町1丁目[2][6][7]。東京在籍[2][7]。
家族・親族
[編集]- 青山家
- 養曽祖父・喜八[5][6]
- 養祖父・八郎右衛門[4]
- 養祖母(1832年 - ?、養曽祖父・喜八の二女)[5][6]
- 養叔母・さと(1851年 - ?、養祖父・八郎右衛門の二女)[4]
- 養母・さだ[3](あるいはさた[6]、1849年 - ?)[6]
- 妻・きん(1876年 - ?、養母さたの養子[4]、長崎義松の姪[4][5])
- 長男・民吉(1896年 - 1953年)
- 二男・二郎[6](1901年 - 1979年、装丁家、美術評論家)
- 孫[2][7]
脚注
[編集]- ^ a b c 『慶応義塾総覧 大正5年』第二十三章 卒業生169頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第12版 上』ア66頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月21日閲覧。
- ^ a b c d 『大衆人事録 第14版 東京篇』19頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第6版』あ31頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月21日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第4版』あ31頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第5版』あ33頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第14版 上』ア55頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月21日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 慶応義塾編『慶応義塾総覧 大正5年』慶応義塾、1916年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 東京篇』帝国秘密探偵社、1942年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。