青山忠貴
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 万治元年(1658年) |
死没 | 正徳3年閏5月12日(1713年7月4日) |
官位 | 従五位下・筑後守 |
藩 | 丹波亀山藩世嗣 |
氏族 | 青山氏 |
父母 |
父:青山宗俊、母:不詳 養父:青山忠重 |
兄弟 | 忠丸、忠雄、忠重、貞俊、忠貴、永井尚長正室 |
妻 | 雨宮正長の娘 |
青山 忠貴(あおやま ただたか)は、江戸時代前期から中期にかけての丹波国亀山藩の世嗣。官位は従五位下・筑後守。
略歴
[編集]万治元年(1658年)、信濃国小諸藩主(後に遠江国浜松藩初代藩主)青山宗俊の五男として誕生した。正室は雨宮正長娘。
元禄元年(1688年)、兄で浜松藩3代藩主(後に丹波亀山藩初代藩主)の青山忠重の養子になって後継者に指名されていたが、兄に先立って正徳3年(1713年)に死去した。享年56。
このため、青山氏の家督は忠重の四男・俊春が継ぐこととなる。