青木勇人 (バスケットボール)
群馬クレインサンダーズ AC | |
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役職 | アシスタントコーチ |
基本情報 | |
愛称 | "TK" |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1974年1月29日(50歳)[1] |
出身地 | 神奈川県藤沢市[1] |
身長(現役時) | 193cm (6 ft 4 in) |
体重(現役時) | 92kg (203 lb) |
キャリア情報 | |
中学校 | 藤沢市立第一中学校 |
高校 | 鎌倉学園高等学校 |
大学 | 専修大学 |
ドラフト | 2005年 ドラフト外 |
ポジション | SF/PF |
経歴 | |
選手時代: | |
1996-2000 | 大和証券 |
2000-2004 | 新潟アルビレックス |
2005-2006 | 東京アパッチ |
2006-2008 | 大分ヒートデビルズ |
2008-2010 | 琉球ゴールデンキングス |
2010-2011 | 大分ヒートデビルズ |
2011-2013 | 横浜ビー・コルセアーズ |
コーチ時代: | |
2013-2016 | 横浜ビー・コルセアーズAC |
2016-2017 | 横浜ビー・コルセアーズHC |
2017-2021 | 新潟アルビレックスBBアソシエイトコーチ |
2021-2024 | 横浜ビー・コルセアーズHC |
2024- | 群馬クレインサンダーズAC |
青木 勇人(あおき たけと、1974年1月29日[1] - )は、神奈川県藤沢市[1]出身のバスケットボール選手、指導者である。選手時代の身長は193cm、体重92kgで、ポジションはスモールフォワード、パワーフォワード。
来歴
[編集]10歳でバスケットボールを始める。藤沢市立本町小学校、藤沢市立第一中学校を卒業[1]後、鎌倉学園高校[1]に進学。その後専修大学[1]を経て1996年、大和証券に入社。大和休部後の2000年に発足した新潟アルビレックスにも出向選手として引き続き参加。2001年にはプロ契約を結んだが、2004年に退団。
2005年のbjリーグ発足時に東京アパッチと契約。2006年からはプレイイングコーチとなる。2007年2月、栗野譲との交換トレードにより大分ヒートデビルズへ移籍。2008年、琉球ゴールデンキングスに移籍し、 2008-09シーズンに琉球ゴールデンキングスでbjリーグ優勝。
2010年、FA権を行使して大分に復帰(アシスタントコーチ兼任)。2011年、地元神奈川県をホームとする新設チームである横浜ビー・コルセアーズへ移籍し、2012-13シーズンにbjリーグ優勝。
2012-13シーズンを最後に選手生活を引退し、勝久マイケルの後任としてアシスタントコーチに就任した。2015-16シーズンからは横浜のヘッドコーチに昇格[2]。
2016-17シーズンは3月末の時点でB1中地区5位が続き、3月25日と26日の試合を体調不良のため試合を欠場し、31日にはチームとの契約が解除された[3]。
2017-18シーズンからは、新潟アルビレックスBBのアソシエイトコーチに就任した[4]。
2020-21シーズンの2021年1月31日の名古屋戦からシーズン終了まで、福田将吾ヘッドコーチが球団社長兼GMからのパワハラによる体調不良で休養したため[5]、その間はヘッドコーチ代行として新潟の指揮を執った。シーズン終了後の2021年5月に新潟アルビレックスBBを退団した[6]。
2021年6月14日に、横浜ビー・コルセアーズと2021-22シーズンのヘッドコーチ契約を結んだ[7]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g “契約解除並びにヘッドコーチ就任のお知らせ”. 横浜ビー・コルセアーズ. 2019年5月28日閲覧。
- ^ 青木勇人ヘッドコーチ契約基本合意のお知らせ横浜ビー・コルセアーズ2015年6月5日
- ^ 『中地区5位の横浜が青木HCとの契約を解除、尺野ACが新指揮官に就任』(プレスリリース)2017年3月31日 。2017年7月1日閲覧。
- ^ 『青木勇人氏とアソシエイトコーチ契約締結のお知らせ』(プレスリリース)2017年7月1日 。2017年7月1日閲覧。
- ^ “パワハラ被害は自分、でも現場戻りたい バスケHC告白”. (2021年4月28日) 2021年4月28日閲覧。
- ^ 『[2021.05.13 青木勇人アソシエイトコーチ 契約満了のお知らせ]』(プレスリリース)2021年5月13日 。2021年6月11日閲覧。
- ^ 『青木勇人氏 B.LEAGUE2021-22シーズン ヘッドコーチ契約締結のお知らせ』(プレスリリース)2021年6月14日 。2021年6月14日閲覧。