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青木 市兵衛(あおき いちべえ、明和元年(1764年) - 天保6年(1835年)7月26日)[1]は、江戸時代後期の新田開発者。屋号は大黒屋[2]。
伯耆国河村郡片柴村に生まれる[2]。京都で土木技術を学んだ後、水車による灌漑法を郷里に伝える[3]。文化9年(1812年)より18年の歳月を費やし天神川支流から同郡東・西小鹿村へ用水路を引き、新田を拓いた[2][3]。