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青木英五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

青木 英五郎(あおき えいごろう、1909年12月9日 - 1981年1月3日[1])は、神奈川県横須賀市出身の日本の裁判官弁護士

人物

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裁判官時代は、刑事裁判における事実認定、証拠判断についての研究で知られた。八海事件について、最高裁が1962年広島高裁の無罪判決を破棄したことに「義憤を感じ」[2]、裁判官を退官して、弁護士として同事件の弁護団に加わった(なお、同事件は差戻控訴審で有罪判決が出されたが、第三次上告審で無罪となった)。また、仁保事件狭山事件などにも関わり、主に誤判・冤罪問題についての著書を多数著した。晩年は、弁護士活動の経験、直接には狭山事件に対する控訴審判決、上告棄却決定における職業裁判官への失望から、陪審制推進論者となった。また、裁判官の立場から、裁判官の戦争責任について論じたことでも知られている。

経歴

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著作

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  • 『英米刑事手続における交互尋問と証言調書(制度と実際)』(司法研修所、1950年)
  • 『証拠評価の方法-自由心証主義における論理法則および経験法則の分析』(司法研修所、1960年)
  • 『事実誤認の実証的研究-自白を中心として』(武蔵書房、1960年)
  • 『刑事裁判の論理-裁判の弁証法的考察』(酒井書店、1961年)
  • 『裁判官の戦争責任』(日本評論社、1963年、増補版1971年)
  • 『誤判にいたる病-自由心証の病理について』(一粒社、1967年)
  • 『八海事件-その真相と訴え』(日本国民救援会、1967年)
  • 『自白過程の研究-仁保事件の録音による』(一粒社、1969年)
  • 『裁判を見る眼-廣津和郎の裁判批判』(一粒社、1971年)
  • 『市民のための刑事訴訟法-もし逮捕されたら』(合同出版、1973年)
  • 『「狭山裁判」批判』(辺境社、1975年)
  • 『逃げる裁判官』(社会思想社、1979年)
  • 『日本の刑事裁判-冤罪を生む構造』(岩波書店岩波新書、1979年)
  • 『陪審裁判』(朝日新聞社朝日選書、1981年)
  • 青木英五郎著作集刊行委員会編『青木英五郎著作集 I~III』(田畑書店、1986年)

脚注

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出典

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