青木重夫
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青木 重夫(あおき しげお、1904年(明治37年)4月17日[1] - 1961年(昭和36年)6月8日[1][2])は、昭和期の実業家、農林業経営者、政治家、華族。貴族院子爵議員。
経歴
[編集]本籍・栃木県[2]。農業経営者・青木梅三郎(杉孫七郎三男)の長男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1941年(昭和16年)10月15日、子爵を襲爵した[1][3][4]。
1930年(昭和5年)、東北帝国大学法文学部を卒業[2][3]。1932年(昭和7年)、日本生命保険に入社し、その後、常磐簡易火災保険副支配人、日本火災保険副支配人、日本火災海上保険支配人を務めた[2][3]。その他、栃木県那須郡高林村(現那須塩原市)で農林業の経営を行う[2]。
1946年(昭和21年)5月10日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[5][6]、研究会に所属して活動し、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。
親族
[編集]- 養祖父:青木周蔵[1]
- 父:青木梅三郎(1873–1941)
- 母:文子(1885–1941) - 福原信蔵二女[1]
- 妻:和子(かずこ)(1911–2005) - 荒木和一三女[1]
- 男子:周光(1936–1990)[1]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 人事興信所編『人事興信録』第14版 上、1943年。
日本の爵位 | ||
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先代 青木梅三郎 |
子爵 青木(周蔵)家第3代 1941年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |