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青柿善一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

青柿 善一郎(あおがき ぜんいちろう、1887年明治20年〉2月9日 - 1975年昭和50年〉11月14日[1]は、大正から昭和日本労働運動家

経歴・人物

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奈良県吉野郡川上村に生まれ、尋常小学校を卒業する[1]。小学校卒業後は山林労働に従事[1]1915年(大正4年)大阪砲兵工廠に入り、以後松田製作所、神戸製鋼所などを経て、1917年(大正6年)川崎造船所に入ると同時に友愛会に入る[1][2]1921年(大正10年)労働組合の指導者として川崎・三菱造船場大争議を指導し、逮捕起訴される[1]1925年(大正14年)総同盟革新同盟が結成されると委員長となり、コミンテルンの会議などでモスクワへ渡る[1]。その後は、無産大衆党日本大衆党などで活躍する[2]1929年(昭和4年)神戸市会議員となる[1]。翌年の1930年(昭和5年)の衆議院議員選挙では落選[1]1937年(昭和12年)人民戦線事件で逮捕され、懲役3年に処せられた[1]第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)共産党に入党した[1][3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ)『青柿 善一郎』 - コトバンク
  2. ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『青柿善一郎』 - コトバンク
  3. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 4頁。