青森市立油川中学校
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青森市立油川中学校 | |
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北緯40度51分15.8秒 東経140度41分15.9秒 / 北緯40.854389度 東経140.687750度座標: 北緯40度51分15.8秒 東経140度41分15.9秒 / 北緯40.854389度 東経140.687750度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 青森市 |
設立年月日 | 1947年4月22日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C102210000088 |
中学校コード | 020019 |
所在地 | 〒038-0058 |
外部リンク | 青森市立油川中学校 |
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青森市立油川中学校(あおもりしりつ あぶらかわちゅうがっこう)は、青森県青森市の北西部、松前街道沿いの油川地区の中心に位置する公立中学校。所在地は羽白字沢田471。
概説
[編集]油川は古くは大浜と呼ばれており、非常に古い歴史を持っている。生徒は一人暮らしの高齢者の家の除雪作業を行ったりと地域に根ざした活動をしている。また、逆に部活や学校の行事の際には、地域の住民は協力をしており、学校と地域は強く結びついている。その成果もあり近年の卓球部は全国大会の常連選手も輩出するなど活躍している。 団体競技でもサッカー部が2期連続で中体連県大会出場、第24回U-15フットサル選手権東北大会に出場し、3位という輝かしい成績を残している。
現在の油川中学校付近は古くは寺野内村という村であり、現在の校庭部分には初代森山弥七郎の供養碑が古くは存在していた。明治に入り洋式牧場として使われるようになったが、1935年に青森飛行場が建設され供養碑も移転した。1948年からその供養碑は浄満寺境内に移転している。誰が建立したのかははっきりしないが、3代目弥七郎が油川湊目付を務めた際に、先々代の遺徳を偲んで建立したものとも言われている。
学校を挙げた活動も行われており、老人施設で高齢者の補助をしたり、難病でアメリカに行こうとしている子どもの募金活動、カンボジアへの募金活動などを行ったりと社会福祉活動も多く行っている。
沿革
[編集]- 1947年(昭和22年)
- 1951年(昭和26年)12月24日 - 羽白字池上3番地に新校舎竣工移転。
- 1952年(昭和27年)
- 1955年(昭和30年)4月7日 - 奥内中学校の西田沢学区を本校学区に編入。
- 1956年(昭和31年)7月27日 - 体育館兼講堂落成式並びに校旗樹立式挙行。
- 1957年(昭和32年)
- 1961年(昭和36年)6月10日 - 相撲道場完成。
- 1962年(昭和37年)7月1日 - 2教室竣工。同窓会設立。
- 1967年(昭和42年)
- 1977年(昭和52年)
- 6月26日 - 鉄筋4階建校舎(現校舎)の新築着工。
- 10月24日 - 創立30周年記念式典挙行。
- 1978年(昭和53年)
- 1979年(昭和54年)
- 1985年(昭和60年)
- 1987年(昭和62年)10月24日 - 創立40周年記念式典挙行。
- 1992年(平成4年)9月14日 - コンピュータ室改修。
- 1997年(平成9年)10月25日 - 創立50周年記念式典挙行。
学区
[編集]油川、羽白、岡町、西田沢、新城字天田内、富田4丁目の一部、新田3丁目の一部。
アクセス
[編集]周辺
[編集]- JR津軽線油川駅
- 青森市役所油川市民センター
出身者
[編集]脚注
[編集]- ^ 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)「学校沿革 (二)中学校」869頁「油川中学校」
- ^ 『東奥日報』1978年10月19日付夕刊1面「けさ、油川中(青森)が全焼」記事。
- ^ a b 『東奥日報』1978年10月20日付朝刊15面「油川中全焼 放火の疑い強まる」記事。
参考資料
[編集]- 『新青森市史 別編教育(別巻) 年表・学校沿革』(青森市・2000年3月発行)「学校沿革 (二)中学校」229頁「油川中学校 変遷」