青森県護国神社
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青森縣護國神社 (青森県護国神社) | |
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所在地 | 青森県弘前市下白銀町1番地3号 |
位置 | 北緯40度36分39.9秒 東経140度27分56.9秒 / 北緯40.611083度 東経140.465806度座標: 北緯40度36分39.9秒 東経140度27分56.9秒 / 北緯40.611083度 東経140.465806度 |
主祭神 |
青森県出身の英霊29,184柱 (2019年8月末現在)[1] |
社格等 |
旧内務大臣指定護国神社 別表神社 |
創建 | 1869年(明治2年)6月6日 |
例祭 | 4月29日 |
主な神事 | 9月第1日曜日(永代神楽奉納祭) |
地図 |
青森縣護國神社(青森県護国神社、あおもりけんごこくじんじゃ)は、青森県弘前市下白銀町1-3、弘前公園内(弘前城四の丸)にある神社(護国神社)である。
青森県出身の戦歿者、2万9184柱の英霊を祀る(2019年8月末現在)[1]。
歴史
[編集]- 1869年(明治2年)6月6日 - 津軽藩12代藩主・津軽承昭が弘前城南宇和野(現・弘前市りんご公園)に於いて箱館戦争等戊辰の役で戦死した藩士67柱の招魂祭を行う[2][3]。
- 1870年(明治3年)
- 1871年(明治4年)3月9日 - 招魂社を建立し、毎年5月18日を祭日と定める[7]。
- 1876年(明治9年)
- 1888年(明治21年)12月24日 - 上白銀町13番地(現・藤田記念庭園)に遷座[2][10][11]。
- 1899年(明治32年)5月 - 弘前城本丸で招魂祭を実行[2][10]。
- 1910年(明治43年)12月24日 - 弘前招魂社として弘前公園内の現在地に移築[11]。
- 1936年(昭和11年)8月31日 - 青森招魂社と改称[11]。
- 1939年(昭和14年)4月1日 - 内務大臣指定護国神社となる[12]。
- 2019年(令和元年)6月5日・6日 - 青森縣護國神社創建150周年を祝う創建祭を開催[13]。
ギャラリー
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 青森縣護国神社とは - ウェイバックマシン(2023年4月2日アーカイブ分)、公益財団法人 青森県護国神社奉賛会
- ^ a b c d 偕行 2007, p. 21.
- ^ 青森縣史 第3巻 1926, p. 736.
- ^ 青森縣史 第3巻 1926, p. 816.
- ^ 青森縣史 第3巻 1926, p. 821.
- ^ 月刊れぢおん青森 1991, p. 41.
- ^ 青森縣史 第3巻 1926, p. 867.
- ^ 青森縣史 第7巻 1926, pp. 396–397.
- ^ 青森縣史 第7巻 1926, p. 397.
- ^ a b 月刊れぢおん青森 1991, p. 42.
- ^ a b c 弘前市史 1964, p. 590.
- ^ 「護國神社指定(昭和14年内務省告示第142號)」『官報』第3670号、内閣印刷局、1939年4月1日、46頁、doi:10.11501/2960164。
- ^ 青森縣護國神社について - ウェイバックマシン(2023年3月23日アーカイブ分)、公益社団法人 青森県遺族連合会
参考文献
[編集]- 青森縣史編纂委員会 編『青森縣史』 3巻、青森県、1926年5月。doi:10.11501/1020312。
- 青森縣史編纂委員会 編『青森縣史』 7巻、青森県、1926年5月。doi:10.11501/1020368。
- 弘前市史編纂委員会 編『弘前市史 明治・大正・昭和編』弘前市、1964年3月30日。doi:10.11501/3009237。
- 『月刊れぢおん青森』1991年4月号、財団法人 青森地域社会研究所、1991年4月10日、doi:10.11501/7953898。
- 「青森縣護國神社」『偕行』平成19年8月号、偕行社、2007年8月1日、doi:10.11501/11435762。
外部リンク
[編集]- 弘前公園 - 護国神社
- 青森縣護国神社とは - ウェイバックマシン(2023年4月2日アーカイブ分)、公益財団法人 青森県護国神社奉賛会
- 青森縣護國神社について - ウェイバックマシン(2023年3月23日アーカイブ分)、公益社団法人 青森県遺族連合会