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青潮文化論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

青潮文化論(あおしおぶんかろん)は、対馬暖流(対馬海流)の存在を日本文化形成の大きな要因とみる日本文化論の立場。1980年代の中頃、市川健夫によって対馬海流を青潮と呼びながら提唱された[1]

概要

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黒潮(日本海流)の分流であるゆえ、黒潮同様に透明度が高く、漆黒(濃紺)の深い色合いをなす海流である。高温なため、冬の北西季節風と邂逅して日本海岸各地に多量のを降らせ、日本文化の基底を形成する重要な因子となってきた。青潮流域には、青潮岳(鹿児島県下甑島)、青潮の里(長崎県対馬)など、この海流が語源となって命名された古くからの地名や文物がある。

青潮(対馬暖流)流量では黒潮に遠く及ばないものの、日本海沿岸を北海道まで北上するその流域において、黒潮以上に日本に温暖湿潤な影響を強く与えてきた。また、その水温の高さゆえに、冬の北西季節風と邂逅して日本海岸各地に多量の雪を降らせ、稲作地域を形成させる要因ともなった。さらには、狭い対馬海峡部を通過することにより、朝鮮半島および中国本土からの文化的要素を伝える推進力ともなってきた。これらは黒潮にはみられない青潮固有の側面であり、それを重く評価しようとするのが青潮文化論といえる。

参考文献

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  • 市川健夫、山下脩二、白坂蕃、小泉武栄青潮文化 : 日本海をめぐる新文化論』古今書院、1997年。ISBN 477221044XNCID BA32794699https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002633377-00 
    • 市川健夫「青潮文化考--南と北からの文化複合 (青潮文化--もうひとつの日本文化論<特集>)」『地理』第34巻第5号、古今書院、1989年5月、17-25,図p1、ISSN 05779308NAID 40002445418 
    • 山下脩二「イカ漁にみる青潮文化 (青潮文化--もうひとつの日本文化論<特集>)」『地理』第34巻第5号、古今書院、1989年5月、34-42,図p4、ISSN 05779308NAID 40002445420 
    • 白坂蕃「青潮文化と牧畑 (青潮文化--もうひとつの日本文化論<特集>)」『地理』第34巻第5号、古今書院、1989年5月、43-51,図p3、ISSN 05779308NAID 40002445421 
    • 小泉武栄「青潮地域の奇妙な植生--南からのル-トと氷期のレリック (青潮文化--もうひとつの日本文化論<特集>)」『地理』第34巻第5号、古今書院、1989年5月、26-33,図p2、ISSN 05779308NAID 40002445419 
  • 戸井田克己『青潮文化論の地理教育学的研究』古今書院、2016年。ISBN 9784772220200NCID BB21218966 
    • 戸井田克己(研究代表者)「青潮文化論の地理教育学的研究」『近畿大学学内研究助成金研究報告書 (2015.)』研究種目:研究成果刊行助成金; 課題番号 : KJ02、1-2頁。 

出典

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  1. ^ 市川健夫「青潮文化試論」『学芸地理』第42号、東京学芸大学地理学会、1988年3月、2-16頁、ISSN 0911-2693NAID 110008919067