静野与右衛門
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静野 与右衛門(しずの よえもん、生没年不詳)は、江戸時代前期の測量家、算術師[1][2]。
経歴・人物
[編集]佐渡国雑太郡相川の人物[2]。箱根用水を開いた友野与右衛門と同一人物視する考察もある[3]
上田勘兵衛に和算・測量術を学ぶ[1][2]。佐渡金山の振矩師を務める[1][2]。佐渡奉行荻原重秀の下、元禄4年(1691年)から足掛け5年を掛け、相川の割間歩の地下水を海にながす総延長約1.1kmの南沢疏水坑道(南沢水貫間切)を完成させた[1][2]。この工事の完成により金山は「元禄の大盛り」といわれる最盛期を迎えた[2]。この排水坑道は平成元年(1989年)に閉山するまで排水路としての機能を果たした[2]。
他に水力利用の鉱石粉砕法を考案した実績もある[2]。