コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

音別町立二俣小中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
音別町立二俣小中学校
過去の名称
  • 音別簡易教育所
  • 音別教育所
  • 二俣尋常小学校
  • 二俣青年訓練所
  • 二俣国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 音別町
開校記念日 5月1日
共学・別学 男女共学
小中一貫教育 小中一貫校
所在地 088-0104
北海道釧路市音別町音別原野基線138番46
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

音別町立二俣小中学校(おんべつちょうりつ ふたまたしょうちゅうがっこう)とは、かつて北海道音別町二俣にあった併設型の公立小学校公立中学校1906年に音別簡易教育所として開校し、1947年に校名変更。1997年閉校。

沿革

[編集]
  • 1906年4月2日 - 音別簡易教育所として開校。
  • 1909年4月1日 - 音別教育所と変更
  • 1918年3月29日 - 補習科設置
  • 1923年3月20日 - 二俣尋常小学校と変更
  • 1926年6月1日 - 二俣青年訓練所と変更
  • 1931年4月13日 - 高等科を設置し二俣尋常小学校を開学
  • 1941年4月1日 - 二俣国民学校と変更
  • 1947年
    • 4月1日 - 二俣小学校に変更
    • 5月3日 - 二俣尋常小学校を二俣中学校に変更
  • 1986年 - 小中学校の新校舎完成
  • 1996年3月22日 - 二俣中学校閉校
  • 1997年3月23日 - 二俣小学校閉校。その後、校舎は音別体験学習センター「こころみ」として利用[1]

旧二俣青年訓練所附属大井特別教授場

[編集]
  • 1934年4月1日 - 音別原野大井の沢(現音別町ヌプキベツ)に造材業の子弟のために開学
  • 1936年3月31日 - 二俣青年訓練所に統合され閉校。その後、校舎は解体

旧音別第二小学校

[編集]
  • 1908年5月1日 - 音別第二教育所として音別原野西1線1992の2に開校。
  • 1918年9月1日 - 音別第二尋常小学校に変更
  • 1941年4月1日 - 音別第二国民学校と変更
  • 1947年4月1日 - 音別第二小学校に変更。
  • 1965年3月31日 - 二俣小学校に統合され閉校。その後、地区会館として利用

旧上音別小中学校

[編集]
  • 1918年9月15日 - 音別第二尋常小学校附属上音別教授場として音別原野基線268の1に開校。
  • 1928年5月10日 - 上音別尋常小学校と改称。
  • 1941年4月1日 - 上音別国民学校と変更
  • 1947年4月1日 - 上音別小学校に変更。
  • 1950年4月1日 - 二俣中学校上音別分校を設置
  • 1954年4月1日 - 二俣中学校上音別分校を上音別中学校に改称
  • 1965年3月31日 - 二俣小中学校に統合され閉校。その後、校舎は解体

旧霧里小学校

[編集]
  • 1917年5月14日 - 霧里特別教授場として霧里原野基線19に開校。
  • 1929年4月26日 - 霧里尋常小学校と改称。
  • 1941年4月1日 - 霧里国民学校と変更
  • 1947年4月1日 - 霧里小学校に変更。
  • 1967年3月24日 - 二俣小学校に統合され閉校。付近はキャンプ場となっているが、校舎は存置

旧中音別小学校

[編集]
  • 1948年6月9日 - 中音別444番地に開校。
  • 1965年3月31日 - 二俣小学校に統合され閉校。その後、校舎は解体[2]

脚注

[編集]
  1. ^ 音別体験学習センター「こころみ」
  2. ^ 以上につき『音別町史 下巻』音別町、2006年3月1日、p906以下参照

関連項目

[編集]