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音浴博物館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
森の中にある音浴博物館
貴重な スピーカー、アンプ など
音浴博物館正面

音浴博物館 (おんよくはくぶつかん)は、長崎県西海市にある博物館。

概要

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アナログレコード16万枚を所蔵する。 エジソンが発明した蝋管式蓄音機・再生装置はじめ1世紀以上経った演奏機、レコード、SP盤などを演奏し視聴することができる施設。 知る人ぞ知るレコード愛好家の<聖なる館>。聴きたいレコードを浴びるように聴けるため、「音浴」と称する[1]

歴史

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もともとは栗原榮一朗氏が倉敷市でレコードや古い蓄音機などを集めて病院の大きな倉庫を借りて開業していたが、きわめて私的な施設であった。 2000年(平成12年)、当時借りていた倉庫が取り壊されて駐車場になることから、移転先を探して当時一般的になりかけていたインターネットで全国の自治体に場所の提供を呼びかけた。

3日後に長崎県庁から返事があり、用意された県内3か所を視察した結果、最も広い現在の場所に決定。2000年12月には、所蔵品を倉敷から10トントラック4台を使用して移送を行った。

しかし、移転先として選定した旧「大瀬戸町立雪浦小学校久良木開拓分校」は、1957年(昭和32年)築、19年後の1976年(同51年)には閉校、その後「日本赤十字ベトナム難民救援援護施設大瀬戸寮」として1980年(昭和55年)に増改築・15年間開設された後平成7年に閉鎖されてから既に5年を経ており、老朽化が激しく、上水道も止まったままだった。 地元大瀬戸町の有志と力を合わせ修善改装を行い、移送開始から約4ヶ月後、開館にこぎ着けた。

収蔵品

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現在、SPレコードが約1万枚、LP盤・EP盤など15万枚が所蔵されているが、この場所を知った人の中から数十枚単位で寄贈されて増え続けている。貴重なスピーカーなどでも聴くことができる。

開館した当初は6万枚だったが、レコードを手放す放送局が相次いで寄贈し、収蔵品が増えていった[1]

最近は自身の終活を念頭に置いた収集家の寄贈が増えている。収集家が自身のコレクションを散逸させるのが惜しいと考え、送ってくる[1]

映画を上映しながら音楽や効果音を再生させるために使われた1920年代のレコードも寄贈された。普通のLPは直径30cmだが、これは41cmもある。館長は「プレーヤーで再生できないのが残念です」とのこと[1]

ロックやジャズ、クラシックなど音楽のLPだけでなく、東条英機や政治家の演説や戦前のニュース、観光名所の案内を収めたSP盤も数多い。加えて古道具屋のようなステレオやラジカセの数々。ここは、まるで<怪奇骨董音楽箱>。従って、館内はレコードに限らず雑多のものが展示されている[1]

その他

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この博物館の基本的なコンセプトの1つが、その名が表わすように「音を浴びる」=「実際にスピーカーで再生し空気を通じて全身で音楽を感じる」と言うこと。 よって、JBLタンノイをはじめ高級スピーカーも実際に鳴らすことができる。特に1950年代のスタジオモニターの一つ「ビクターオーディオラ」は、世界遺産級と称える人がいるほどの逸品。このような希少品を公共の場で視聴できるところは少ない。

音浴博物館は、コロナ禍以前は年間8千人弱が訪れ、レコードに郷愁を感じる世代にとって観光名所となっている[1]

アナログLPをかけるレコードコンサート を音浴博物館が主催し、西海市雪浦地区の地域おこしを兼ねて開かれている。2023年10月28日に第4回目が西海市の砂浜で開催され、主催者発表で250人が集まった[1]

所在地

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〒857-2323 長崎県西海市大瀬戸町雪浦河通郷342-80

開館時間

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10:00から18:00 木曜休館

料金

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一般 750円、小中学生 320円、小学生未満無料[2]

アクセス

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バス・タクシー
JR長崎駅から長崎バス桜の里行きで終点下車、そこからさいかい交通瀬戸・板の浦行きバスに乗り換えて雪浦下車、そこから更にタクシーで20分

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 「Another Note 廃校からレコード博物館へ 山奥で息づく開拓者精神」『朝日新聞』2023年12月4日夕刊、第4版、第2面
  2. ^ 音浴博物館”. ながさき旅ネット. 2022年1月28日閲覧。

外部リンク

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座標: 北緯32度55分34.6秒 東経129度42分31.1秒 / 北緯32.926278度 東経129.708639度 / 32.926278; 129.708639