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音羽山 (相撲)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
音羽山親方から転送)

音羽山(おとわやま)は、日本相撲協会年寄名跡のひとつ。初代・音羽山が四股名として名乗っていたもので、その名称は江戸・音羽町に由来するとされている。

音羽山の代々

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  • 代目の太字は、部屋持ち親方。
代目 引退時しこ名 最高位 現役時の所属部屋 襲名期間 備考
初代 音羽山峰右衛門 前1 2代に名称変更
2代 ? --- 音羽山部屋?
3代 ? --- 音羽山部屋? 1779年?月-1799年2月 4代雷に名跡変更
4代 泉嵜雷助 前3 音羽山-雷部屋 1802年2月-1820年5月(死去) 二枚鑑札
5代 音羽山峰右エ門 関脇 雷-音羽山-粂川部屋 1821年10月-1827年?月(返上?) 二枚鑑札
6代 十万ノ海剛右衛門 前3 粂川-雷部屋 1839年11月-1864年?月 9代雷に名跡変更
7代 築瀬嶽熊吉 前3 陣幕-押尾川-雷部屋 1866年11月-1868年?月(廃業) 二枚鑑札
8代 出釋迦山峰吉 関脇 湊-雷-音羽山-雷部屋 1873年?-1878年2月(死去)
9代 出釈迦山与吉 十2 音羽山-雷-音羽山部屋 1880年1月-1887年11月(死去)
10代 新川市平 前9 桐山-佐野山部屋 1890年6月-1894年1月(死去)
11代 梅垣直治郎 十8 雷部屋 1897年5月-1923年9月(死去)
12代 白岩亮治 前2 尾車-峰崎-尾車部屋 1930年5月-1961年1月(停年(定年。以下同)退職)
13代 双ツ龍徳義 前1 時津風部屋 1961年1月-1961年3月 借株
11代粂川に名称変更
14代 大ノ浦一廣 前16 二所ノ関-花籠部屋 1962年5月-1963年11月(廃業) 借株
15代 若ノ海正照 小結 二所ノ関-花籠部屋 1963年11月-1996年8月(停年退職)
16代 大若松好弘 前13 大鵬部屋 1996年8月-1997年11月 借株
10代浅香山へ名称変更
17代 若翔洋俊一 関脇 二子山部屋 1997年11月-2000年3月(退職) 借株
18代 隆三杉太一 小結 二子山部屋 2000年3月-2004年3月 借株
15代常盤山に名称変更
19代 貴ノ浪貞博 大関 藤島-二子山-貴乃花部屋 2004年5月‐2015年6月(死去)
20代 光法賢一 前9 宮城野部屋 2015年7月-2018年1月(退職)
21代 大道健二 前8 阿武松部屋 2018年1月-2019年9月 13代阿武松に名跡変更
22代 益荒雄宏生 関脇 押尾川部屋 2019年9月(退職) 退職日のみ襲名[1]
23代 天鎧鵬貴由輝 前8 尾上部屋 2020年2月-2023年1月 借株
24代佐ノ山に名跡変更
24代 鶴竜力三郎 横綱 井筒-陸奥部屋 2023年12月-

関連項目

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  • 音羽山部屋
  • 四代目音羽山は福島県泉崎村出身、近村に婿入りし子供が病死、離婚して26歳で力士になった。白河藩主老中松平定信のお抱え力士。大関雷電為右衛門(197センチ、169キロ)を足取りで破り、実況内容の手紙が残されている。小兵の音羽山は立ち合いで「オリャー」と鋭い気合を発し、雷電の突きをかわし、足の膝を取った音羽山は渾身の力で振り、雷電をゴロリと転がした。「雷電は雲の上でゴロつくに音羽が山の下でゴロゴロ」と詠われた。足取りは小兵力士が得意、そのまま土俵外に押出す例が多い。油断した雷電は、音羽山の気合(気合術と同じになった)に一瞬体の力が抜けた可能性がある。千秋楽で雷電と2回戦った唯一の力士。真相「め組の喧嘩」の手紙もあり、佐渡ヶ嶽とともに大活躍した。故郷の奥州街道沿いに改名後「雷峯右衛門」の碑が建てられ、巡業の力士は必ず手を合わせた伝説がある。現在、石碑は泉崎駅前に移転。作品『関取音羽山物語』高久達英(ペンネーム池月映)歴史春秋社 。

脚注

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  1. ^ 元阿武松親方は退職 音羽山が阿武松襲名し部屋継承」『日刊スポーツ』2019年9月26日。2019年9月26日閲覧。