風につれなき
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『風につれなき』(かぜにつれなき)は、鎌倉時代に成立した擬古物語。作者不詳。『風葉和歌集』にはこの物語に収められた和歌が46首も採られていることから、鎌倉時代屈指の長編物語と考えられるが、現在は冒頭の、しかもストーリーを短縮して編集したとおぼしき1巻のみが現存する。『風につれなき物語』とも呼ばれる。
題名の由来は不明だが、男君たちに対する女主人公の「風につれなき」態度を表したものと考えられている。病気・死・出家の描写や世のはかなさを嘆く歌が多いことから、『源氏物語』特に宇治十帖の影響を色濃く受けている[1]。
成立年代
[編集]『風につれなき』の正確な成立年代は不明である。しかし『無名草子』にはこの物語に触れた記述がないことから、『無名草子』が成立したと推定される建久7年(1196年)から建仁2年(1202年)以後に書かれたと考えられる。またこの物語中の和歌が『風葉和歌集』に収録されていることから、『風葉和歌集』が成立した文永8年(1271年)以前には成立していたと考えられる。いずれにせよ、鎌倉時代前期から中期にかけて成立したと推定されている。
粗筋
[編集]- 故関白には長男の関白左大臣・次男の右大臣左大将・長女の大宮(吉野帝の母)・次女の式部卿宮北の方がいる。兄関白には2人の美しい娘がおり、長女(姉姫)は弘徽殿女御として吉野帝に入内して寵愛を受け、やがて中宮となる。弟右大臣には三位中将・藤壺女御などの子供がいる。その後、藤壺女御(弟右大臣の娘)が吉野帝の子を懐妊するが、皇子誕生を願う弟右大臣の熱心な祈祷もむなしく、生まれたのは皇女(女一の宮)だった。4年後、関白の次女(妹姫)は美しく成長し、吉野帝と権中納言(もとの三位中将)から好意を寄せられるがつれなく拒絶する。その後、弘徽殿中宮は皇子(堀川帝)を産むが、妹姫に皇子の養育を頼んで崩御する。吉野帝は残された妹姫に入内を催促し、また権中納言も妹姫に言い寄るが、皇子の養育に専念する妹姫はつれない態度を崩さない。
関連項目
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 大曾根章介ほか編『研究資料日本古典文学』第1巻、明治書院、1983年。
- 日本古典文学大辞典編集委員会編『日本古典文学大辞典』第1巻、岩波書店、1983年