風見胤重
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時代 | 鎌倉時代・南北朝時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 1351年(正平6年/観応2年)12月20日 |
別名 | 新右衛門尉 |
氏族 | 風見氏 |
父母 | 父:君島胤時 |
兄弟 | 君島綱胤、薬師寺紀綱室、胤重、大宮胤景、延生胤光 |
子 | 胤則 |
風見 胤重(かざみ たねしげ)は、鎌倉時代・南北朝時代の武将。
略歴
[編集]船生の東南方向にある風見郷を領し、風見氏を創始して風見城を築き居城とする。但し、塩谷町史 第二巻 中近世史料編『城館跡』によれば、乾元元年(1302年)に風見左衛門次郎が風見城の城主であったとする記載があり、塩谷町史では、胤重以前の風見氏と風見城の存在も指摘しているため、この場合、風見氏の創始も胤重ではなく、胤重は、一度断絶した風見氏を再興したか、養子として跡を継いだ事になり、風見城の築城時期もさかのぼる事になる。
兄の君島綱胤や弟の大宮胤景と共に、1351年(正平6年/観応2年)の薩埵峠の戦いに足利尊氏方として参戦し、兄弟と共に討ち死にする。
参考文献
[編集]- 塩谷町史