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風見胤重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
風見胤重
時代 鎌倉時代南北朝時代
生誕 不詳
死没 1351年正平6年/観応2年)12月20日
別名 新右衛門尉
氏族 風見氏
父母 父:君島胤時   
兄弟 君島綱胤薬師寺紀綱室、胤重大宮胤景延生胤光
胤則
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風見 胤重(かざみ たねしげ)は、鎌倉時代南北朝時代武将

略歴

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下野国塩谷郡船生領主、君島胤時の次男として生まれる。

船生の東南方向にある風見郷を領し、風見氏を創始して風見城を築き居城とする。但し、塩谷町史 第二巻 中近世史料編『城館跡』によれば、乾元元年(1302年)に風見左衛門次郎が風見城の城主であったとする記載があり、塩谷町史では、胤重以前の風見氏と風見城の存在も指摘しているため、この場合、風見氏の創始も胤重ではなく、胤重は、一度断絶した風見氏を再興したか、養子として跡を継いだ事になり、風見城の築城時期もさかのぼる事になる。

兄の君島綱胤や弟の大宮胤景と共に、1351年正平6年/観応2年)の薩埵峠の戦い足利尊氏方として参戦し、兄弟と共に討ち死にする。

参考文献

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  • 塩谷町史