飛鳥井雅康
飛鳥井 雅康(あすかい まさやす、永享8年(1436年)-永正6年10月26日(1509年12月7日))は、室町時代後期から戦国時代前期の公家・僧侶。飛鳥井雅世の次男。正三位権中納言。号は二楽軒(じらくけん)または二楽院(じらくいん)、法名は宋世(そうぜい)。子に飛鳥井頼孝・盛円・万里小路春房(江南院龍霄)室。
経歴
[編集]兄・飛鳥井雅親の猶子となり[1][2][3]、飛鳥井家を継ぐ[4]。
応仁元年(1467年)10月に従三位に叙され、翌応仁2年(1468年)4月に参議に任ぜられる。文明2年(1470年)9月に右兵衛督を兼ね、文明3年(1471年)3月に正三位に叙され、文明7年(1475年)正月に出雲権守を兼ねる。文明11年(1479年)11月に権中納言に任じられる[3]。しかし、文明14年2月14日(1482年3月3日)に近江国松本に出奔して出家し、家を飛鳥井雅俊(猶子・雅親の嫡男)に譲った[1][2]。以降は書道や和歌の世界に生きた[1]。
蹴鞠・和歌・書道・尺八に優れ[2][4]、和歌では30代より兄に代わって歌会の題者・点者を務め[1]、書道においては二楽流の祖とされている[2][3]。
また、地方の大名とも交流が深く、明応2年(1493年)には上杉房定に招かれて越後国を訪問し[3]、畠山政長には『宋世口伝』、細川政元には『和歌功能』と歌学書を著して贈呈している[1]。
家業であった和歌・蹴鞠を中心に著作も多く、前述の著作以外にも『歌道抄』・『蹴鞠条々大概』・『入道中納言雅康卿百首』・『雅康卿詠草』・『詠百首和歌』・『蹴鞠百首和歌』・『山霞』(後花園法皇崩御の記録)・『富士歴覧記』(紀行文)など著作も多く、『新撰菟玖波集』にも11首入集している[1][2][2][3]。
系譜
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 田中新一「飛鳥井雅康」『日本古典文学大辞典 1』(岩波書店、1983年) ISBN 978-4-000-80061-7 P54.
- 島谷弘幸「飛鳥井雅康」『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞社、1994年) ISBN 978-4-02-340052-8 P55.
- 市古貞次他『国書人名辞典 1』(岩波書店、1993年) ISBN 978-4-000-80081-5 P45.
- 小林健彦「飛鳥井雅康」『戦国人名辞典』(吉川弘文館 2006年) ISBN 978-4-642-01348-2 P37.