飛鳥 (特設水雷砲艦)
表示
艦歴 | |
---|---|
建造所 | 上海江南造船所 |
起工 | 1911年 |
進水 | 1917年 |
竣工 | 1918年 |
就役 | |
その後 | 1945年5月7日沈没 |
除籍 | |
要目(()内は永建時代のもの) | |
排水量 | 常備:860トン |
全長 | -m (68.3m) |
全幅 | -m(9.85m) |
吃水 | -m(4.1m) |
機関 | (石炭専焼缶-基+レシプロ機関2基2軸推進 |
出力 | (1,350hp |
速力 | 13.0ノット |
航続距離 | -ノット/-海里 |
燃料 | -トン(石炭) |
乗員 | -名(140名) |
兵装 | (アームストロング 10.2cm単装砲1基 アームストロング 7.62cm単装砲3基 アームストロング 4.7cm単装砲4基 3.7cm(40口径)単装砲1基) |
飛鳥(あすか)は、日本海軍の雑役船。元は中国が建造した砲艦で永翔級の準同型艦の永建級1番艦「永建」(ユンチュン)を取得して修理後に改名して就役させた艦である。
艦歴
[編集]元は1915年(大正4年)建造の中国砲艦「永建」であったが1937年(昭和12年)8月に上海で爆撃を受けて沈没した。(第二次上海事変)その後、日本海軍が浮揚の上、雑役船中の交通船として日本海軍籍に編入、特設水雷母艦の任務に従事した。1940年(昭和15年)に二等駆逐艦3隻、特設砲艦12隻からなる第13戦隊が編成され、本艇はその旗艦兼母艦となった。1945年(昭和20年)に入り対空警備艦となったが、5月7日にB-29の爆撃を受けて沈没した。
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第14巻 小艦艇II』光人社、1990年。 ISBN 4-7698-0464-4