飯島伸子
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飯島 伸子(いいじま のぶこ、1938年1月3日- 2001年11月3日[1])は、日本の社会学者。環境社会学の研究で有名。環境社会学会初代会長。旧姓、工藤。東京大学医学部保健学科保健社会学講座助手、桃山学院大学教授、東京都立大学教授、富士常葉大学教授を歴任。日本の環境社会学のパイオニアであり[1]、水俣病の研究でも有名である。
従兄弟に経済思想史研究者の後藤文利、哲学者・社会学者で思想の科学研究会会長代行を務めた後藤宏行がいる。
来歴
[編集]1938年1月3日、城津市にて出生。1956年3月、大分県立竹田高校卒業。1960年3月、九州大学文学部[1]哲学科卒業。同年4月、日本パーカライジング株式会社入社。
1966年4月、東京大学大学院社会学研究科修士課程入学。1968年3月、東京大学大学院社会学研究科より修士号(社会学)取得。指導教官は福武直。同年4月、東京大学大学院社会学研究科博士課程進学[1]、東京大学医学部保健学科保健社会学講座助手。1979年4月、桃山学院大学社会学部助教授、1980年6月、同教授。1991年2月、文学博士(九州大学)取得[2]。1991年4月、東京都立大学人文学部教授。2001年3月、東京都立大学退官。同年4月、富士常葉大学環境防災学部教授。
2001年11月3日、腎臓癌にて死去。2006年3月、蔵書が富士常葉大学に寄贈され「飯島伸子文庫」が開設された[3]。
著書
[編集]単著
[編集]編著
[編集]- 『公害・労災・職業病年表』(公害対策技術同友会、1977年)
- 『環境社会学』(有斐閣、1993年)
- 『講座環境社会学5 アジアと世界:地域社会からの視点』(有斐閣、2001年)
- 『新版 公害・労災・職業病年表(索引付)』(すいれん舎、2007年)
共編著
[編集]- (年表編集委員会)『公害および労働災害年表』(公害対策技術同友会、1970年)
- (塩原勉・松本通晴・新睦人)『現代日本の生活変動:1970年以降』(世界思想社、1991年)
- (萩原清子監修)『大都市における水環境:社会学的視点から』(東京都立大学都市研究所、1997年)
- (舩橋晴俊・長谷川公一)『巨大地域開発の構想と帰結:むつ小川原と核燃料サイクル施設』(東京大学出版会、1998年)
- (舩橋晴俊)『環境』(東京大学出版会、1998年)
- (舩橋晴俊)『新潟水俣病問題:加害と被害の社会学』(東信堂、1999年)
- (松本康監修)『廃棄物問題の環境社会学的研究:事業体・行政・消費者の関与と対処』(同時代社、2001年)
- (鳥越皓之・長谷川公一・舩橋晴俊)『講座環境社会学1 環境社会学の視点』(有斐閣、2001年)
- (藤川賢・渡辺伸一)『公害被害放置の社会学:イタイイタイ病・カドミウム問題の歴史と現在』(東信堂、2008年)
- (舩橋晴俊・長谷川公一)『核燃料サイクルの社会学:青森県六ヶ所村』(有斐閣、2012年)
飯島に関する研究・論評
[編集]- 友澤悠季『飯島伸子における「環境社会学」の射程 : 問いとしての「公害」の再提起』京都大学〈博士(農学) 甲第17613号〉、2013年。hdl:2433/175042 。
- 友澤悠季『「問い」としての公害 : 環境社会学者・飯島伸子の思索』勁草書房、2014年。ISBN 9784326602643。国立国会図書館書誌ID:025255148。「博士論文(友澤悠季 2013)を加筆修正した著作。」
- 舩橋晴俊「飯島伸子先生の歩みと環境社会学の方法」『環境社会学研究』第8巻、環境社会学会、2002年10月、217-220頁、CRID 1390001288120200704、doi:10.24779/jpkankyo.8.0_217、ISSN 2434-0618。
参考文献
[編集]- 「飯島伸子さん死去」『朝日新聞』2001年11月06日 朝刊1面 社会
脚注
[編集]- ^ a b c d 舩橋晴俊「飯島伸子先生の歩みと環境社会学の方法」『環境社会学研究』第8巻、環境社会学会、2002年、217-220頁、doi:10.24779/jpkankyo.8.0_217。
- ^ 飯島伸子『髪の社会史』九州大学〈文学博士 乙第4873号〉、1991年。doi:10.11501/3054263。 NAID 500000075570 。
- ^ 平林祐子「「飯島伸子文庫」開設――環境社会学の歴史と発展を辿るアーカイブ――」『環境社会学研究』第12巻、環境社会学会、2006年、178-185頁、doi:10.24779/jpkankyo.12.0_178。