飯沼勇義
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飯沼 勇義(いいぬま ゆうぎ、1930年(昭和5年)11月 - )は、宮城県仙台市出身の日本の歴史研究家者、郷土史家。
略歴
[編集]昭和26年3月、東北大学宮城師範学校卒業。仙台市内の公立学校の教員を14年間勤めた後、東北大学教育学部の研究生[1]、民間企業勤務、幼稚園長などを経て独立した研究生活に入る。
教員時代から歴史の研究を続け[2]、津波以外にも古代東北の製鉄、牡蠣殻を使った肥料の開発(特許第4105184号フルボ酸鉄を含む)など、その研究範囲は多岐にわたる[3]。東日本大震災を16年も前から警告してきたことで、注目を集める[4][5][6]。
3・11の際には、自らの学説を実証すべく、以前より仙台湾の海岸線に住まいを構え、自説通り被災した。幸いに、津波の習性を明確に把握していたので、身体的には影響はなかったが、しばらく被災者住宅住まいを余儀なくされた。
著書
[編集]- 『仙臺近郊の歴史資料』第一報 地域社会研究会 1953/04
- 『知られざる中世の仙台地方』宝文堂、1986年
- 『仙台平野の歴史津波』宝文堂 1995年
- 『3・11その日を忘れない』歴史上の大津波、未来への道しるべ 島影社 2011/06
- 『仙台平野の歴史津波』復刻版 本田印刷、2011/09
- 『解き明かされる日本最古の歴史津波』島影社、2013/03