飯田恒次郎
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飯田 恒次郎 | |
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生誕 |
1878年1月19日 日本 奈良県 |
死没 | 没年不明 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1902年 - 1933年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
飯田 恒次郎(別体字:飯田 恆次郎、いいだ つねじろう、1878年〈明治11年〉1月19日 - 没年不明[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴・人物
[編集]奈良県出身[1][2]。1902年(明治35年)陸軍士官学校第14期卒業[1][2]。1910年(明治43年)陸軍大学校第22期卒業[1][2]。
1923年(大正12年)8月に陸軍輜重兵大佐・自動車隊長、1925年(大正14年)5月に陸軍自動車学校教育部長、1926年(大正15年)3月に輜重兵第4大隊長、1929年(昭和4年)3月に陸軍少将・輜重兵監部附、同年8月に陸軍自動車学校長を経て、1933年(昭和8年)3月18日に陸軍中将に進級と同時に待命、同月30日に予備役に編入した[1][2]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。
栄典
[編集]- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[4]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。