飯田春教
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飯田 春教[1][2](いいだ しゅんきょう、生没年不詳)は、日本の政治家、名望家[3]。東京府北豊島郡板橋町長[4]、下板橋宿戸長[5]。族籍は東京府平民[6]。
人物
[編集]1889年、町村制が施行され、推されて開町第一次の町長に就任した[4][5]。傑出した才幹を備え、その名を知られた[7]。素封家の飯田高央は孫[7]。長女のはなは下板橋の質商・瀬田文次郎の妻[6]、瀬田醻一の母[8]。
脚注
[編集]- ^ 『大日本紳士鑑』東京府北豊島郡164頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年3月24日閲覧。
- ^ 『帝国名誉録』東京府北豊島郡198頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月9日閲覧。
- ^ 『帝国名望家大全』70頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年7月27日閲覧。
- ^ a b 『自治団体之沿革』37頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月9日閲覧。
- ^ a b 『北豊島郡誌』78、157頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月21日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第6版』せ4-5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月21日閲覧。
- ^ a b 『自治団体之沿革 東京府之部』人文記 自治功績録54頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月21日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第15版 上』セ2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月22日閲覧。
参考文献
[編集]- 帝国名誉会編『帝国名誉録』帝国名誉会、1890年。
- 妹尾久造編『大日本紳士鑑』経済会、1895年。
- 吉野民司編『帝国名望家大全』吉野民司、1895年。
- 北豊島郡農会編『北豊島郡誌』北豊島郡農会、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 篠田皇民『自治団体之沿革』東京都民新聞社、1930年。
- 篠田皇民『自治団体之沿革 東京府之部』東京都民新聞社、1931年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。