馬聯甲
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馬聯甲 | |
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プロフィール | |
出生: | 1864年(清同治3年) |
死去: |
1924年(民国13年) 中華民国 |
出身地: | 清江蘇省海州東海県[1] |
職業: | 軍人 |
各種表記 | |
繁体字: | 馬聯甲 |
簡体字: | 马联甲 |
拼音: | Mǎ Liánjiǎ |
ラテン字: | Ma Lien-chia |
和名表記: | ば れんこう |
発音転記: | マー リエンジア |
馬 聯甲(ば れんこう)は清末民初の軍人。初めは安徽派に属したが、後に直隷派に転じた。
事跡
[編集]清末は淮軍に属した。1912年(民国元年)、安武軍統領となる。1913年(民国2年)1月、陸軍少将に昇進する。1915年(国4年)12月に袁世凱が皇帝に即位すると一等男に封じられた。
1918年(民国7年)1月、安徽陸軍第1混成旅旅長、皖南鎮守使、会弁安徽軍務善後事宜に任命された。安徽派の倪嗣沖配下であったが、1920年(民国9年)の安直戦争で安徽派が敗北すると、馬聯甲は直隷派に転じた。
1922年(民国11年)、安徽督軍張文生を駆逐して、馬が安徽督軍(督理)に任命された。しかし、1924年(民国13年)の第2次奉直戦争で直隷派が敗北すると、同年11月に、馬も部下により下野に追い込まれ、南京へ逃亡した。
同年中に馬聯甲は死去した。享年61。
注
[編集]参考文献
[編集]- 来新夏ほか『北洋軍閥史 下冊』南開大学出版社、2000年。ISBN 7-310-01517-7。
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
中華民国(北京政府)
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