馬麟 (民国)
馬麟 | |
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『支那-機構と人物』(1937年) | |
プロフィール | |
出生: | 1876年(清光緒2年) |
死去: |
1945年(民国34年)1月26日 中華民国 |
出身地: | 清甘粛省蘭州府河州城 |
職業: | 軍人 |
各種表記 | |
繁体字: | 馬麟 |
簡体字: | 马麟 |
拼音: | Mǎ Lín |
ラテン字: | Ma Lin |
和名表記: | ば りん |
発音転記: | マー リン |
馬 麟(ば りん)清末民初の軍人。馬家軍の有力頭領である。字は勲臣。回族。兄は馬麒。甥に馬歩青、馬歩芳、馬仲英がいる。
人物・生涯
[編集]幼年時代はモスクで学問に励んだ。後に武官であった父の馬海宴[注 1]に従い軍に入隊する。1906年(光緒32年)頃からは、いったん商業に転じた。1911年(宣統3年)に軍に復帰し、西寧鎮標左路統領に任じられる。さらに寧海巡防馬歩全率いる寧海軍で幇統兼左路統領、歩兵第2営管帯に異動した。
1919年(民国8年)、寧海軍玉樹防務支隊司令に任じられる。民国10年(1921年)、甘辺寧海鎮守使署参謀長に異動した。1925年(民国14年)、寧海軍は馮玉祥率いる国民軍に編入、改組され、国民軍新編第26師副師長に任じられた。1926年(民国15年)、甘辺寧海護軍使署参謀長となる。
1929年(民国18年)2月、青海省政府委員兼建設庁長に任じられた。翌年、甘粛全省保安司令に任じられる。騎兵第1師師長を兼任して、蘭州に駐屯した。
1931年(民国20年)8月、兄の馬麒が死去したため、青海省に戻り、代理青海省政府主席となった。1933年(民国22年)3月、正式に省政府主席に任じられた(7月、省政府民政庁長も兼任)。また、西安行営第2防区司令も兼任している。1935年(民国24年)11月には、中国国民党第5期候補中央監察委員となった。
しかし1936年(民国25年)5月、馬麒は甥で馬麒の子である馬歩芳と対立し、青海省政府主席の地位を事実上奪い取られてしまう(馬歩芳の正式な省政府主席継承は、1938年(民国27年)3月)。失意の馬麒は、同年11月、メッカへ巡礼に赴いた。帰国後は故郷に居住する。1937年(民国26年)10月、国民革命軍第17集団軍副司令として復帰した。翌年3月には、国民政府委員にも任じられた。
1945年(民国34年)1月26日、病没。享年70歳。
脚注
[編集]注釈
[編集]参考文献
[編集]- 魏明章「馬麒」中国社会科学院近代史研究所『民国人物伝 第12巻』中華書局、2005年。ISBN 7-101-02993-0。
- 徐友春主 編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか 編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
中華民国(国民政府)
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