駒ヶ岳噴火津波
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駒ヶ岳噴火津波(こまがたけふんかつなみ)は、寛永17年(1640年)に、北海道駒ヶ岳の山体崩壊により発生した火山津波災害である。溺死者700人以上。この時の噴火は、古文書に記録の残る江戸時代以降の駒ヶ岳の噴火の中でも最大規模である[1]。日本では、1792年島原大変肥後迷惑(雲仙眉山)、1741年寛保津波(渡島大島)に次ぐ、史上3番目に大きな火山津波災害となった[2]。
火山活動の概要
[編集]解説
[編集]→「北海道駒ヶ岳 § 火山史」も参照
寛永17年6月13日(1640年7月31日)、北海道駒ヶ岳は大規模な噴火活動を開始した。激しい山鳴りを伴い[7]、その後山頂部が崩壊して大規模な岩屑なだれが発生[6]。これが東に流下して内浦湾(噴火湾)になだれ込んだため、大津波が発生した[1]。津波の規模はMt7.9-8.2[8]。亀田から十勝にかけて津波を記録したとされ、有珠(現在の洞爺湖町有珠)では津波の高さが7.5 mに達したという[1]。この津波によって700人以上が溺死し、船舶100余隻に被害が出たとされる[9][10][11][2]。山体崩壊とともに火砕流(ブラスト)も発生し、8月2日までは火山灰や軽石の噴出が続いた[6]。その後活動は急速に衰え、およそ70日後に静穏化した。
地形の変化
[編集]この時の岩屑なだれは、南麓では折戸川をせき止めて現在の大沼・小沼・蓴菜(じゅんさい)沼を形成しており、また、東麓では出来澗崎(できまざき)と呼ばれる岬を形成した[1]。元々は標高1,700 mの円錐形の山体であった駒ヶ岳が、現在のような標高1,100 mの2つの馬蹄形カルデラを持つ山体となったのも、この時の山体崩壊が原因である[12]。
出典
[編集]- ^ a b c d “岩屑なだれ・山体崩壊”. 気象庁. 2021年12月6日閲覧。
- ^ a b 寛永17年(1640年)駒ヶ岳噴火津波 (PDF) 北海道大学大学院理学研究院助手・西村裕一
- ^ 吉本 充宏、宇井 忠英「北海道駒ヶ岳火山1640年の山体崩壊」『火山』第43巻第4号、1998年、137-148頁、2020年4月7日閲覧。
- ^ 吉本 充宏「北海道駒ヶ岳火山 1640 年山体崩壊に伴う火砕物重力流堆積物」『日本火山学会講演予稿集』第2001.2巻、2001年、146頁、2020年4月7日閲覧。
- ^ 吉本 充宏、宝田 晋治、高橋 良「北海道駒ヶ岳火山の噴火履歴」『地質学雑誌』第113巻Supplement、2007年、81-92頁、2020年4月7日閲覧。
- ^ a b c d “気象庁|北海道駒ヶ岳 有史以降の火山活動”. www.data.jma.go.jp. 2021年12月6日閲覧。
- ^ “駒ヶ岳:歴史時代の噴火”. gbank.gsj.jp. 2021年12月7日閲覧。
- ^ 中西諒, 岡村聡『1640年北海道駒ヶ岳噴火による津波堆積物の分布と津波規模の推定』
- ^ 吉本充宏、宝田晋治、高橋良「北海道駒ヶ岳火山の噴火履歴」『地質学雑誌』第113巻、日本地質学会、2007年、84頁、doi:10.5575/geosoc.113.S81、2017年3月6日閲覧。
- ^ 早川由紀夫. “噴火に備える(長期予知)Long-term prediction” (PDF). 群馬大学. 2015年5月2日閲覧。
- ^ “主な火山災害年表” (PDF). 気象庁. 2015年5月2日閲覧。
- ^ “北海道駒ケ岳(北海道鹿部町)”. web.archive.org (2015年6月3日). 2021年12月6日閲覧。
参考文献
[編集]- “北海道駒ヶ岳 有史以降の火山活動”. www.data.jma.go.jp. 気象庁. 2021年12月6日閲覧。
- 寛永17年(1640年)駒ヶ岳噴火津波 (PDF) - 北海道大学大学院理学研究院助手・西村裕一
- 吉本 充宏、宇井 忠英「北海道駒ヶ岳火山1640年の山体崩壊」『火山』第43巻第4号、1998年、137-148頁、2020年4月7日閲覧。
- 吉本 充宏「北海道駒ヶ岳火山 1640 年山体崩壊に伴う火砕物重力流堆積物」『日本火山学会講演予稿集』第2001.2巻、2001年、146頁、2020年4月7日閲覧。
- 吉本充宏、宝田晋治、高橋良「北海道駒ヶ岳火山の噴火履歴」『地質学雑誌』第113巻、日本地質学会、2007年、doi:10.5575/geosoc.113.S81、2017年3月6日閲覧。
- 駒ヶ岳火山の歴史時代の噴火 - 地質調査総合センター