駒形正明
こまがた まさあき 駒形 正明 | |
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プロフィール | |
出身地 | 日本・新潟県南魚沼郡六日町(現在の南魚沼市) |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1954年4月26日(70歳) |
最終学歴 | 明治大学政治経済学部 |
職歴 | 元NHKアナウンサー(1977年 - 1981年)→テレビ新潟アナウンサー(1981年 - 2012年) |
活動期間 | 1977年 - 2012年 |
ジャンル | 報道・情報 |
出演番組・活動 | |
出演経歴 | 『にいがたNOW』[1] |
駒形 正明(こまがた まさあき、1954年4月26日 - )は、元NHKアナウンサー、元テレビ新潟アナウンサー。新潟県南魚沼郡六日町(現在の南魚沼市)出身。
略歴
[編集]新潟県立六日町高等学校を経て、1977年に明治大学政治経済学部を卒業した[2]。大学時代は雄弁部に所属した。
同年、NHKに入局した。NHKでは鹿児島放送局で勤務した。1981年にテレビ新潟開局当初の立ち上げメンバーとなる。アナウンサーとして、初代オープニングやクロージング紹介のナレーションなどを担当した。
取材するアナウンサー・キャスターの先駆けとして、県内のみならず海外でも取材をした。報道では、NNNウラジオストク支局に派遣された。ウラジオストクでは、ソビエト連邦の崩壊を日本の映像メディアとして唯一取材した。
その後、同社の事業部に異動し、サッカークラブ「アルビレックス新潟」の立ち上げに参画したほか、新潟県で初となるJリーグの公式戦開催を実現させた。また、2002年FIFAワールドカップ(日韓共同開催)では新潟県招致委員も務め、熾烈な誘致合戦を制し、日本海側で唯一・新潟県での開催を実現させた[3]。
事業部長、事業局長を経た後、編成局長(放送番組審議会事務局長兼務)を務めた。[4]
その他、環日本海経済研究所(ERINA)へ出向し、経済交流副部長を務め、北東アジアの経済活動に関する調査などを実施した[5]。2007年、事業創造大学院大学でMBAを取得した。
2012年8月18日、南魚沼市長選(11月18日投開票)への出馬を表明した[6]が、現職候補に敗れ落選した。
定年を迎えた後も、嘱託としてテレビ新潟放送網関連会社であるニュー・ブライトプロダクション(芸能事務所、法人名は株式会社TeNYサービス)の代表取締役社長を務めていたが、2020年現在は本間芳之に譲っており、すでに退社しTeNYの業務から完全に退いている。
人物・趣味
[編集]- モットーは夢と冒険、そして感動。趣味は、スキー・カメラ・旅行・音楽(聴く、歌う)
- 祖父は大巻中学校の初代校長を務めた。父も大巻中学校校長を務めた。
- 新潟県出身のNHK正職員アナウンサー経験者で唯一民放局に移籍し、かつ地方選挙・国政選挙を通じて唯一選挙に立候補した(2022年7月18日現在)。
出演番組
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NHK鹿児島放送局
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テレビ新潟
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脚注
[編集]- ^ “【新潟ローカル】にいがたNOW+α '85年秋”. YouTube. 2012年8月20日閲覧。
- ^ “明治大学校友会新潟県支部・役員名簿”. 2012年8月19日閲覧。
- ^ サロン2002 in にいがた「新潟におけるスポーツビジネス」
- ^ “放送番組審議会”. 株式会社テレビ新潟放送網 (2012年6月25日). 2012年8月18日閲覧。
- ^ ERINA REPORT
- ^ “駒形氏が出馬を正式に表明 南魚沼市長選”. 新潟日報 (2012年8月18日). 2012年8月18日閲覧。